様々なユーザー企業のシステム部長らが集まる勉強会や飲み会。さすがに自社の経営批判をするようなアホな人はいないが、「IT部門は経営から軽く見られている」との共通の思いからか、皆がよく口にする2パターンの話がある。

 その一つは、システムの内製の重要性を叫ぶパターン。長年にわたるIT部門の規模縮小、あるいはIT企業へのフルアウトソーシングに直面し、「システムを作る力が失われてしまえば、米国企業などとのグローバル競争に勝てないのに」と悲憤慷慨するもの。これを内製原理主義と呼ぶが、酒飲み話としては相当盛り上がるらしい。

 もう一つのパターンは、最近のビジネスのデジタル化、IT化のトレンドを捉え、「これからはITの分かる人材を積極的に経営幹部に登用すべきだ。場合によってはIT部門から社長になる人が出てもよいぐらいだ」というもの。言うならば一種のIT経営論だが、通販業界などでは実際にIT部門出身者が社長になったケースもある。だから、この話もかなり盛り上がる。

 結局のところ、どちらのパターンの話も「ITやIT部門の重要性を経営に理解してもらいたい」という“切ない思い”なのである。だが、それは酒の席などでのうたかたの夢。最近、ITを重視する経営トップが増えてきているが、彼らがIT部門も重視するかというと甚だ疑問だ。システム部長やIT担当者は仲間内で気炎を上げているよりも、現実を直視したほうがよい。

 IT部門がシステムの内製力を失ったのは、ある意味、歴史的必然だ(関連記事:「システム内製こそ正義」のたわ言)。この件は何度も「極言暴論」などで書いてきた。今回は「IT部門から社長になる人が出てもよい」に関する話を書く。これは噴飯モノ。IT担当者は今後、IT部門でどんなに頑張ってもCIO(最高情報責任者)にはなれない。これもまた歴史的必然である。