今回は、なるべく回り道をせずに効率的に最短で「グローバル人材」になる方法について書いてみたい。

 「グローバル人材」ってなんだ?という議論もあると思うが、ここでは「今自分が働いている会社が倒産やリストラなどで職を失った時でも、好調にビジネスを展開しているグローバル企業で「使える」人材として採用され活躍できうる能力をもつ人材」という大雑把な定義をしておく。

 単に英語ができるとか、あいつにまかせておけば海外とのやり取りができるというレベルの人材のことではない。お互いにストレスを感じることなく、グローバル標準に準拠した共通の作法にのっとり、共通のビジネスロジックのもとで、スムーズにビジネスを進めることができる人材のことをいう。

 また「グローバル企業」とは、海外資本の企業でグローバルにビジネス展開をしている企業、あるいは日本に本社があっても海外市場に広く進出する企業の海外事業部門を想定している。

 日本特有の、不透明なうちに何となく物事が進んでいくという作法にどっぷりとつかっていると、それが日本人の間や日本企業以外では通用しなくなっていることに、異論はないだろう。

日本人は自分の会社を信頼していない

 ここに非常に興味深い調査結果がある。

 アメリカの独立系PR会社である米エデルマンの日本法人から発表された「2016 エデルマン・トラストバロメーター」だ。28カ国3万3000人以上を対象に、2015年10月13日から11月16日にかけて実施された調査で、「勤めている企業および同じ業界の他社を、正しい行いをするという点において、どの程度信頼しているか」というアンケートを取ったところ、日本人で「自分が働いている企業を信頼している」と答えた人は全回答者中約40%で、調査国中最下位だった。

社員は自分が働いている企業を信頼していない
社員は自分が働いている企業を信頼していない
自分が働いている会社に対する信頼度(%)(出所:米エデルマン「2016 エデルマン・トラストバロメーター」)
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 これは、最近露呈した大企業の不適切会計や不正事件、不透明なうちに物事がきまっている役所仕事などの影響と考えれば、うなずける。日本標準とグローバル標準の違いの中で中核をなすのが、この「透明性」に関する感覚の違いだと考えている。

 日本社会では、なれ合いや人間関係の中で不透明なまま何となく物事やビジネスが進行し決まっていく。その度合いが、日本以外の社会と比較すると異次元レベルで高いと感じられる。

 それを痛感した例が、かつてオリンパスで起きた、イギリス人社長の解任騒動だ。社長が会計内容に疑問を持って問題提起したところ、逆に取締役会議で社長を解任され事件となったケースがある。日本特有の「不透明さ」を指摘したことがあだとなってしまった。

 エデルマンの調査は、こうした理不尽な不透明性に、いまや日本の多くのビジネスパーソンが気付きはじめ、違和感をいだいていることを示しているのではないだろうか。

 またこの調査では、日本が将来へ抱く展望が悲観的な「悲観大国」であることも明らかになった。日本人のうち「自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっている」と回答した人は知識層で19%、一般層15%。これもグローバル平均の知識層55%、一般層47%を大きく下回り、最下位となっている。

日本人は将来に対して最も悲観的な国民
日本人は将来に対して最も悲観的な国民
自分と家族の経済的な見通しいついて、5年後の状況が良くなっていると応えた回答者の割合(%)(出所:米エデルマン「2016 エデルマン・トラストバロメーター」)
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 歴史のある大企業が倒産したり、不正会計で問題になったり、今まで技術供与をしてきて「自社には及ばない」と考えていた海外企業に逆に買収されたりという現実に、多くの日本人が将来の不安を感じているのだろう。