NTTデータ元副社長の小南俊一(こみなみ・しゅんいち)氏が2017年11月15日までに死去していたことがわかった。69歳だった。金融機関向け事業部門の責任者として剛腕を振るい、地方銀行向け共同システム「地銀共同センター」の開発や陣営拡大などをけん引した。

NTTデータ元副社長の小南俊一氏
NTTデータ元副社長の小南俊一氏
(出所:NTTデータ)
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 福岡県出身。九州大学経済学部を卒業して1971年に日本電信電話公社に入社し、NTTデータの前身となったデータ通信本部でプロジェクトマネジャーなどとして活躍した。民営化により現在のNTTデータに移った後は九州支社長を経て1999年に取締役就任。公共向けや金融向け部門のトップとして大規模プロジェクトをまとめ上げた。

 ゆうちょ銀行(当時は郵政省)の勘定系システムなど、プロジェクトの完遂に誰よりも熱意を燃やした。2004年に地銀共同センターを初稼働させるプロジェクトが佳境を迎えると、部下とともに現場で土日や昼夜の区別なく働いた。当時部下だったNTTデータの鈴木正範執行役員第二金融事業本部長は「作業は順調に進んでいるかと頻繁に聞かれてうるさいなあと思ったが、指摘されたところで問題が早期に見つかるなど、何度も助けられた」と振り返る。

 開発の遅れやシステム障害などの問題が発生しても逃げずに自ら客先に説明に出向き、顧客の信頼をつかんだ。前身がNTTだけにIT業界の中では「営業下手」「殿様商売」などと揶揄(やゆ)されることが多かった当時のNTTデータの中では異色の存在だった。

 「逃げずに、困っている顧客と同じ船に乗れと、何度も言われた」。長く仕えたNTTデータの藤原遠取締役はこう明かす。「プロジェクトが困難に直面したときこそ、顧客の立場で顧客に寄り添えという意味だった」(藤原氏)

 2000年代には勘定系システムの受託を通じて懇意だった北海道銀行の堰八義博頭取(当時)から「海外からの旅行者を呼び込んで地元経済を活性化したい」との相談を受け、金融システムの開発を通じて得た独自の人脈を駆使して台湾の銀行カードが使える決済端末の開発を企画。自ら10回以上にわたって台湾を訪れるなど道銀と台湾側の間に入ってプロジェクトをまとめ、ITを通じた地域経済の発展に貢献した。現在のインバウンド(訪日外国人旅行者)ブームを先読みしていた格好だ。