政府は2016年度第2次補正予算で、人工知能(AI)に関する産官連携の新たなR&D拠点を立ち上げる「人工知能に関するグローバル研究拠点整備事業」に195億円を投じる。事業を管轄するのは、経済産業省所管の産業技術総合研究所(産総研)だ。

 この195億円に含まれるのは、東京都江東区と千葉県柏市にそれぞれ建設するAI/ロボットの実験棟と、柏市に建設するサーバー棟の建設費、そしてスパコン級の演算性能を持つAI専用のコンピューティング基盤「AI橋渡しクラウド(ABCI)」の調達費である。

 このうちABCIについては、2017年1月~2月に仕様案を固めた後、サーバー棟の建設と並行し、2017年末までに完成させることを目指す。「AI専用コンピュータとして、世界一の演算性能を有する」(産総研 情報・人間工学領域 研究戦略部 研究企画室長の谷川民生氏)という。

 1980年代に実施されたAI開発の国家プロジェクト「第5世代コンピュータ」の総費用は、10年で約570億円。その3分の1ほどの額を、補正予算として集中投資することになる。このプロジェクトは、200億円に資するだけの付加価値を生み出せるのか。それぞれの研究施設の目的について検証する。

「1人1ペタ」のコンピューティング環境を実現する

 柏市に設置予定のAI専用コンピューティング基盤「AI橋渡しクラウド(ABCI)」については、まだ入札前のため詳細な建設費、調達費は未定。関係者によればサーバー棟の建設費を含めて事業総額の約3分の1をABCIに充てるとされ、これは60億~70億円に相当する。システムの調達とサーバー棟の建設を同時並行で進め、2018年初頭に本格稼働させる予定だ。

 サーバー棟に設置するABCIシステムの理論演算性能は、ディープラーニングに求められる単精度または半精度の演算で、130ペタFLOPS(1秒当たりの浮動小数点演算回数)の以上を想定する(図1)。一般的なスパコンの演算性能指標である倍精度演算では30ペタFLOPS以上を想定しており、これは理論演算性能のみで比較すれば理化学研究所のスパコン「京」の約3倍に当たる。

図1●AI橋渡しクラウドのコンセプトとスペック
図1●AI橋渡しクラウドのコンセプトとスペック
(出所:産総研)
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 ABCIは、現時点では特定のアーキテクチャーは想定していないが、Caffe、TensorFlow、Chainerといったディープラーニングフレームワークへの対応を求めることから、ディープラーニングの学習/推論に適したGPUアクセラレーターが第一候補になるだろう。

 あえて政府予算でAI専用のコンピューティング基盤を設置する意義について、ABCI設置に関わる東京工業大学 情報理工学研究科 教授の松岡聡氏は「現時点で、大規模なGPUインフラを持つ国内の民間企業がほとんどない。まず、国がインフラを用意することで、研究や事業化のサイクルが回る」と主張する(写真)。

写真●東京工業大学 情報理工学研究科 教授の松岡聡氏
写真●東京工業大学 情報理工学研究科 教授の松岡聡氏
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 松岡氏によれば、米グーグルは自社データセンターの中に数千~数万オーダーのGPUボードを持ち、1人の研究者が数百台のGPUボードを使ってディープラーニングの研究開発を行っているという。「1人の研究者が1ペタFLOPSの演算資源を当たり前のように占有している」(松岡氏)。政府が一気に130ペタFLOPSの巨大インフラを構築することで、1人が使える計算資源としては米グーグルと伍する環境を日本のエンジニアに用意する。

 開発したAIの実ビジネスへの移行を容易にするため、基盤ソフトウエアはOpenStackを用いるなど、クラウド技術と親和性の高い仕組みを採用する。「ABCI単体では、海外には勝てない。ABCIのハード/ソフト基盤の仕様を公開し、民間のデータセンター企業が採用すれば、研究開発から商用化までスムーズにつながる」(松岡氏)

 さらに汎用的なCPUやGPUではなく、ディープラーニングの演算に特化した「AIチップ」を一部に採用することも検討する。「FPGA、ASICなどのAIチップをPCI Expressボードの形で取り込み、実用化テストなどに使えるようにしたい」(松岡氏)。