機知に富む“創造者への熱き応援歌”

 低迷する組織に天才が現れ、一瞬のひらめきで世界を変えてしまう―。ビジネスの世界では、そんな神話が注目を集めがちだ。「我が社にもスティーブ・ジョブズがいてくれたら」などと思いに駆られることもあるだろう。しかし本書は、イノベーションとは“天才だけに許される特権”でも、“天啓にうたれでもしないと起こらない現象”でも、どちらでもないものだと教えてくれる。

 本書は冒頭の例から興味深い。1815年にドイツの雑誌で取り上げられた、モーツァルト直筆とされる手紙だ。彼が自身の創作プロセスを解説したもので、「1人でよい気分にひたっているときに、完成した状態でメロディーがひらめいた」といった内容だったそうである。

 ところがこれは、赤の他人が捏造したもの。実際のモーツァルトは、私たちと同じように、何度も下書きを繰り返しては一からやり直し、時にはスランプに陥ることもあった。彼の楽曲だけでなく、多くの創作物や発明、発見において重要なのは、一瞬のひらめきではなく、長期にわたる知識の積み重ねで、その積み重ねは、1人ではなく、時には何世代もの人々が関わるものであることが、解説される。

 著者のケヴィン・アシュトンは、英国生まれの無線技術専門家で、近年注目を集めるIoT(モノのインターネット)という言葉を提唱した人物だ。ならばさぞかし理路整然としたイノベーション論が展開されるかと思いきや、さにあらず。『馬を飛ばそう』という意表を突いたタイトルを掲げる著者ならではの機知に富んだ表現と、いくつもの印象深い事例で、物語を読んでいる気分にさせられる。