知らないことが革新をもたらす

 バニラという言葉を聞いただけで、あの甘い香りが鼻に広がるという読者は少なくないだろう。今やスイーツに欠かせないスパイスとなったバニラだが、意外にもその栽培が成功するまでに多くの苦労があった。

 原産地メキシコでは、特定の昆虫や鳥がバニラの受粉を手助けしている。他の場所で栽培したければ、人工授粉を行う必要があるが、花の形状が特殊なために、長い間方法が分からなかったのである。

 1841年、ついに人工受粉の方法が確立される。考え出したのは植物学の研究者――ではなく、実はたった12歳の奴隷の少年であった。彼のおかげで、今日の私たちが美味しいバニラアイスを楽しめるのだ。

 このようにイノベーションの歴史には、しばしば素人に等しい人々が登場する。彼らは革新的なアイデアを生み出し、専門家を圧倒する。知識を持たない者が、知識を持つ者を上回るということが、頻繁に起きるのはなぜか。本書はその秘密が無知、すなわち「知らないこと(Not Knowing)」にあると主張する。

 実は「知る」というのは、様々な弊害を伴う行為だ。例えば何らかの知識を身に付けることで、逆に視野が狭くなる場合がある。ウォーターフォール型のシステム開発手法を学び、それで何度かプロジェクトを成功させてきた人物は、次のプロジェクトでもウォーターフォール型でアプローチしようとするだろう。