5月17日、「大阪都構想が僅差で否決」というニュースが全国を駆け巡った。ほっと安堵した表情の市民、「これで大阪も日本も終わった」と嘆く若者、ぼうぜんとたたずむ議員・・・。今でもあの時の光景が目に浮かぶ。

 識者や報道機関は、総じて「市民の安定志向が改革意欲を上回った」と指摘する。また「市内北部より南部、若者よりも高齢者が現状維持志向で全体としての否決につながった」という総括は確かだろう。だが賛否を投じた人々の心理はもっと複雑だった。今回と次回は現地で聞いた生の声をもとに私なりの総括をしてみたい。

さまざまな次元の判断が交錯

 賛否の決め手は「大阪市を残したいか否か」ではなかった。そもそも「決め手」に欠いたというか、シンプルな決め手が見えないままに人々は投票をしたと思われる。あえて言えば、多くの市民は「都構想の是非」以外の様々な要素を頭の中に詰め込み、最後の最後に「どちらかといえば反対(賛成)」と投票した気がする。

 さまざまな要素とは何か。レベル(次元)という言い方が妥当かどうかわからないが、様々なレベル(次元)の課題について賛否の分かれ目があったと思う。

 最も高次元のものは、「ここで賛成となると維新の党が勢いづき、安倍政権が憲法改正を強行するだろう。大阪の住民投票は憲法改正の国民投票の先取りである」というものだろう(その信ぴょう性はさておき)。この次元の論者は、反対票を投じた知識人にときおり見受けられるが、関心事は大阪ではなく我が国の安全保障である。

 高次元の意見で賛成派に多かったのが、「都構想のような大胆な改革ができなければ日本はもうだめだ」という見方である。これは大阪をダメな日本の象徴と捉え、それが都構想を機に変われば、「卓越したリーダーのもとでダイナミックな改革をやる気風が大阪発で全国に行き渡るだろう」という期待による。あるいは、「大都市が自らの在り方を主体的に決める本物の自治の芽生え」「地元で生まれた地域政党が国に法改正までやらせ、最後に211万人が参加して自治体のカタチを変える都構想こそ民主主義の極み」といった見方も高次元の判断に属し、総じて賛成派の知識人に多い。

 一方、低次元の見方の典型は、「橋下は今まで無料だった地下鉄・バスの敬老パスを一部有料化した。けしからん」という一部の高齢者の反発だろう。敬老パス関係ではデマも飛び交った。たとえば「市役所がなくなると交通局が民営化される。すると敬老パスが出せなくなる」というものがあった。実際は、敬老パスの経費は交通局予算ではなく、市の福祉予算から出ており、特別区の福祉予算に引き継がれる可能性が高かったのだが。

 もっと巧妙なデマには、「国の制度では政令指定都市だけが敬老パスを発行できる。豊中市など周辺市にこの制度はない。大阪市が政令市でなくなるとパスは完全廃止される」というものもあった。ともかく敬老パス関係はデマも含めて、低い次元での反対への投票に影響を与えた。

橋下氏に対する好き嫌い、大阪人特有の愛郷心も賛否を左右

 低次元と称していいかどうかわからないが、橋下氏に対する好き嫌いも投票に影響した。嫌いという人の心理は「“くそ教育委員会”などの過激発言に対し生理的反発を覚える」「公人なのに発言に品格がない」「独裁的」「学者とマスコミをバカにしすぎる」という批判、慰安婦発言に代表される女性観への反発など様々だ。しかし一方で、「あれくらい過激でないと改革は無理」「権威を恐れず思ったことをそのまま言うのはむしろ政治家としてはとても正直」「リーダーシップの鏡」「弱者に優しい」といった絶賛の声もあった。橋下氏は総じて好き嫌いが激しく分かれる珍しい政治家と言ってよいだろう。

 橋下好き嫌いの変化型では、「否決なら引退すると脅かすのは卑怯(ひきょう)。また嘘を言っているのだろう」という批判もあった。そしてもちろん「橋下さんが引退すると寂しいから賛成」と考える心理もあっただろう。

 好き嫌いという意味では、実は「大阪市役所を懲らしめるべきか否か」という争点もあった。大阪市役所は数多くの不祥事を引き起こしてきた。今でも逮捕者が数多く、札付きのダメ市役所である。市民の心の底には「ざまをみろ、解体されたらいい」という心理が潜む。だが善かれあしかれ、大阪市役所は市民生活に密着してきた。それだけに「市役所がなくなると不安」という市民もいる。

 ややこしいのは大阪人特有の愛郷心と大阪市役所廃止の関係である。大阪をこよなく愛する市民府民は多い(筆者もその一人だ)。そこに目をつけ、「大阪市役所をなくすな、イコール故郷大阪を維新の会に壊されてもよいのですか」と愛郷心に訴える識者(平松前市長など)もいた。

 これに絡めて反対派は、さらにこう訴えた。「(みなさんの嫌いな)東京のまねをして“都”なんて名前を付けたいんですか。そもそも住民投票で可決されても大阪都の名前にならないんですよ」と。これに対して賛成派は、「住民投票で賛成となったら法改正ができます。当然、大阪都になるんです」と。このあたりになるとほとんどの有権者がもうついていけなくなる話のややこしさだった。

議員は失職の瀬戸際

 いうまでもないが都構想が実現すると大阪市議会はなくなる。議員は失職し特別区の議員になるか、他の職を探すしかなくなる。特別区の議員になるにしても選挙区は必ず変わる。多くの議員は今の支持者、選挙区を維持したいので都構想には反対する。

 また「大阪市を懲らしめる」という有権者心理の中には、「市議会なんか廃止してしまえ」という心理もあった。特に最近は、議会が地下鉄・バスの民営化など橋下市長が打ち出す改革案件はことごとく否決してきた。「市議会こそが大阪市役所改革の障害」と考える人もいた。

 彼らにとっては「都構想イコール市議会廃止イコール地下鉄民営化などの改革の成就」だった。こうした動きに対し既存政党の議員は、支持者にこう訴えかけた。「都になると今まで私が市役所にお伝えしていた皆さんの声が伝わらなくなります。それでもいいのですか」と(さすがに「私の職を守ってください」と訴えた議員はおられなかった)。

大勢は都構想以外の要素で決まった?

 ここまで書いてきて読者も(実はわたしも・・)イライラし始めておられるに違いない。「住民投票は都構想の賛否が争点だったはずだ。いったいあの都構想を市民はどう評価したのか」と。あるいは「都構想以外の争点と言えば、これまでの改革をどう評価するか」ではないかと。

 しかし投票日を含む3日間、大阪市内で数知れぬ見知らぬ人々と語った筆者の実感は、「あの住民投票は、都構想への賛否でも、橋下改革の成果の信認でもなかった」というものだ。

 もちろん推進する側の維新の会も、既存政党も、選挙戦では主に都構想のメリット、デメリットを熱っぽく語っていた。反対派は「特別区を設置するコストがメリットを上回る」「二重行政の是正は制度変更ではなく話し合いでできる」「二重行政はそもそもほとんどない」「府市統合の財政効果額はわずか1億円」といった主張を展開した。これに対して賛成派は「二重行政のせいで大阪の停滞が深刻化した」「都構想こそ日本第2の都市、大阪が成長する突破口」「二重行政の打破と財政再建には自治体の統合が不可欠」と主張した。

 しかし、このいずれもが市民の投票行動の決め手になったとは思えないのである。

(以下、次回に続く)

上山 信一(うえやま・しんいち)
慶應義塾大学総合政策学部教授
上山 信一(うえやま・しんいち) 慶應義塾大学総合政策学部教授。旧運輸省、マッキンゼー(共同経営者)等を経て現職。国土交通省政策評価会委員(座長)、大阪府・市特別顧問、新潟市政策改革本部統括、東京都顧問および都政改革本部特別顧問も務める。専門は経営改革と公共経営。著書に『検証大阪維新改革』(ぎょうせい)、『組織がみるみる変わる改革力』(朝日新書)、『公共経営の再構築-大阪から日本を変える』(日経BP社)、『大阪維新 橋下改革が日本を変える』(角川SSC新書)、『行政の経営分析-大阪市の挑戦』(時事通信社)など多数。