1980年代半ばには、通信分野にも大きな変化があった。米国では1984年に米AT&T(American Telephone & Telegraph)が分割された。日本では1985年に日本電信電話公社(電電公社)が民営化され、関連グループに改組される。いずれも、通信サービス市場への自由競争導入が狙いである。

 すでに述べたように、ゴルバチョフ氏がソ連の最高指導者となったのは1985年だった。それは東西冷戦の「終わりの始まり」を象徴する。1世紀近くをかけた実験の末、全体主義計画経済は、自由主義市場経済に敗れ去ろうとしていた。おりから米国はレーガン大統領、英国はマーガレット・サッチャー首相、日本は中曽根康弘首相が政権を担う。いずれも新自由主義的な経済政策を採る。通信自由化は、その一環である。日本では国鉄民営化が、中曽根内閣のもとで実施された。

電信も電話も放送も、日本では国営で始まった

 電気通信は19世紀の米国で、民営事業として始まった。1845年に米国のモールス (Samuel F. B. Morse)は、マグネティック・テレグラフという「電信」会社を設立する。「電話」も米国では民営で始まる。ベル(Alexander Graham Bell)が1877年にベル電話会社を設立する。「放送」も米国では民間企業が始めた。ウェスティングハウス・エレクトリック運営の放送局が1920年に「定時放送」を開始し、マスメディアとしてのラジオの可能性を開く[水越、1993、67~69ページ]。

 米国では民間人が技術を開発し、民間人が会社を起こして電信電話事業や放送事業を始めた。ところが日本では、電信も電話も放送も、国営で始まる。技術は海外から導入した。事業は「お上」が運営する。

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