シヤチハタといえば、朱肉要らずのハンコ「浸透印」の代名詞だ。スポンジ状の印面からインクがしみ出る仕組みで、承認・決裁用のネーム印としてオフィスでおなじみの存在だ。

 そのシヤチハタが、IT分野で20年以上にわたって販売を続けているロングセラー製品がある。WordやPDFなどの文書ファイルに、実際のネーム印を押したような印影を付与できる「電子印鑑システム」だ。

 このシステムは、今も進化を続けている。2017年3月には米ドキュサインと共同で、ドキュサインのクラウドサービス「DocuSign」に電子印鑑のオプションを加えた。

 なぜ、ネーム印の市場を浸食しかねない電子印鑑システムを、シヤチハタが自ら開発、販売するのか。そこには、スタンプ台、浸透印と事業の幅を拡げてきたシヤチハタならではの「危機意識のDNA」があった。

 20年来の電子印鑑システム開発の歴史を知るシヤチハタ 取締役 研究開発担当の佐藤旭氏に、システム開発の経緯を聞いた。

(聞き手は浅川 直輝=日経コンピュータ


なぜ、浸透印で知られるシヤチハタが、電子印鑑という事業を始めたのでしょうか。

写真●シヤチハタ 取締役 研究開発担当の佐藤旭氏
写真●シヤチハタ 取締役 研究開発担当の佐藤旭氏
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 開発の検討を始めたのは1994年です。次の年(1995年)にWindows 95が出てくると分かった頃ですね。

 「前バージョンのWindows 3.1と比べ、ネットワーク機能が強化される」「社内PCだけでクラサバ型のネットワークが組める」、といった話が我々の研究部隊へ事前に伝わっていました。

浸透印メーカーのシヤチハタがそこに目を付ける、という点が興味深いです。当時は、Windows 95はGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)の強化が注目を集める一方、TCP/IPなどネットワーク機能の強化についての報道は少なかったですよね。

 いや、すごい脅威でしたよ。社内でネットワークがつながる、インターネットにもつながることの脅威はひしひしと感じていました。ネットワーク化は、明らかにペーパーレス化を促進しますから。  

 前提として、Windows 95以前からのOA(オフィスオートメーション)化、ペーパーレス化の流れがありました。

 1980年代、まずオフィスに入ったのは「ルポ(東芝の日本語ワードプロセッサ「Rupo」、1985年発売)」のようなワープロでした。それがPC-98(NECのPC-9800シリーズ)になり、DOS/V(PC/AT互換機)も出てきて、オフィスにPCが当たり前のように置かれるようになりました。

 OA化やペーパーレス化の流れの中で、スタンプ台メーカー、浸透印メーカーである我々には何ができるのか。たとえペーパーレス化が進展したとしても、「印影」という文化を残すにはどうすればいいか、を常に考えていました。

 当時は「IT」なんていう言葉もありませんでしたが、浸透印のインクを開発する化学研究を行っているフロアの一角で、我々も研究していたわけです(笑)。

当時から浸透印のシェアは高く、事業は盤石に見えていたかと思いますが、なぜそうした危機感を持つことができたんでしょうか。

 実は、今は我々の看板商品になった浸透印も、「いつ会社が消えるか分からない」という危機意識から生まれたようなものです。

 シヤチハタの創業は1925年で、インクの補充が要らないスタンプ台「萬年スタンプ臺(台)」の開発をきっかけに設立しました。

写真●当時のスタンプ台のイラスト
写真●当時のスタンプ台のイラスト
(出所:シヤチハタ)
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 スタンプ台が売れた後、当時の社長は米国に「浸透印」という概念があると小耳に挟み、大変な危機感を持ったそうです。

 スタンプ台や朱肉の要らない浸透印を誰かが日本で売り始めれば、スタンプ台が売れなくなり、会社もなくなってしまう。

 そう考えて1950年頃から、シヤチハタは自ら、スタンプ台の市場を食いかねない浸透印の研究開発を始めました。完成までは10数年かかり、「Xスタンパー」として最初に販売を始めたのが1965年です。

 浸透印はインクや形状を変えながら進化し、「浸透印による決裁」という新しい文化を日本に築くことができました。一方、浸透印の登場で朱肉やスタンプ台が消えることはありませんでした。

写真●シヤチハタが販売する浸透印
写真●シヤチハタが販売する浸透印
(出所:シヤチハタ)
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 そうしたDNAが、会社に残っているんでしょうね。1994年当時もそうですし、今でも「いつ、誰かにやられるかもしれない」という危機感は常にあります。