アラン・ケイは1972年8月に執筆した「すべての年齢の『子供たち』のためのパーソナルコンピュータ」を踏まえて41年後に書き下ろしたエッセイ「Dynabookとは何か?」の中で、これからの対話型コンピューティングが目指すゴールを提示している。そこには、強力なアイデアを表現する手段と、人間のリテラシーとコンピュータによる動的な表現を組み合わせた環境が用意されているという。(ITpro編集部)
こうしたアイデアは、二つの類似した、互いに関連する質問を私たちに呼び起こしました。それは、(a)「コンピューターの持つアイデアの伝達容量はどのくらいか?」、そして、(b)「パーソナルコンピューティングと遍在するネットワークの下でもたらされる役割とアイデンティティの変革とは何か?」というものです。
(a)の質問の大きな問題は、コンピューターがメタメディアであるという点です。つまり、既存のあらゆるメディアをシミュレート可能で、さらにコンピューターなしでは存在し得ないメディアの基盤でもあります。コンピューターが実現してくれるパワフルなアイデアを表現する手段が、より優れた幼少期の教育を可能にするために、「現在のほとんどの大人たちよりも、より良く考えながら成長していく」ように子供たちを支援できるのではないか。こうしたアイデアに私は特に魅了されたのです。
(b)の質問について私たちは、コンピューティングと遍在するネットワークによってもたらされる役割とアイデンティティの最大の変化は、かつて大きな組織や超富裕層だけが手がけたり考えたりできた事柄に対して、一般の個人も同様のことを行えるようになることだろうと考えました。これは目新しい考えではありません。印刷された本がこの潮流の源です。そして、産業革命による産物の多くは(たとえば、自動車と列車などです)、「大部分の人々に、提供可能なものを大量に開放するという使命」を追い続けているのです。これらのプロセスの多くは「仲介の排除(中抜き)」(正確には「仲介の再定義」)として表れました。そして、私たちはパーソナルコンピューティングが、情報とコミュニケーションに関するすべてのプロセスに対して、こうした再定義を与えてくれることを期待したのです。
「普通であること」と「学習と実践のためのツール」の変化に応じて、答えだけではなく、「私は誰ですか?」「私は何ができますか?」「そうなるために誰に学べばよいですか?」という質問の意味も根本的に変化するのです。
「環境としてのメディア」、そして「仲介再定義としての新しいメディア」のアイデアを理解したならば、次に問うべきは「果たして私たちは、『文明』のための前向きで力強い推進力を生み出すために、新しいメタメディアの『メッセージ』を形成できるか?」です。