ISOWAで考える力を持った若い人たちが確実に育ってきているのはなぜなのか。そこにどういう環境があったのだろうか。

 第1の環境は、ISOWAの経営者が、「社員が深く考え抜く力を身に付けていくことを心から望んでいる」というブレない軸の存在である。社員が考える力を鍛えていくなら、経営者自身も、それに耐えられるレベルでオープンかつ透明になっていなくてはならない。だから、経営者にはそれなりの覚悟が必要とされる。

 社員が考える力を持つとは、考える対象が会社や仕事そのもの、そして経営の中身にまで及んでいくということだ。こうした場合、「考える対象に制限は設けられない」のは当然の成り行きである。「ここまでは考えてもいいけれど、ここから先は考えてはいけない」というのでは筋が通らない。つまり、磯輪社長が当初から進めてきた「経営情報の公開」が、社員の考える力を鍛える大切な前提条件であったわけである。

考えざるを得ない「場」と考え抜く「時間」を保証

 第2の環境は、考えざるを得なくさせる「場」の提供と、考え抜くことを可能にする「時間」の保証である。前にも書いたが、ISOWAではプロジェクトがその役割を果たしている。では、多くの会社がよく似たようなプロジェクトをやりながらも、結局、考える力を付けるという意味では成果らしきものをほとんど得られていないのはなぜなのだろうか。

 決定的に違うのは、参加している社員の「会社」に対して向き合う姿勢である。「いい会社にしていきたい」という批判的な精神を含んだ真剣味を持った姿勢がそれである。社員が経営者の経営姿勢を信頼していなければ、会社に対しても距離を置こうとする。下手に関心を持って裏切られるのを本能的に恐れるからだ。

 とは言え、ISOWAの社員が全面的に会社を信頼しきっているというような、ユートピア的なことを言っているわけではない。現実として、目の前にある会社にはいろいろな問題が存在する。どんな経営者も間違いを起こす。

 ISOWAだって例外ではない。それでも「経営者が本気でいい風土の会社をつくるつもりでいる」ことに対する信任があるということだ。経営者の姿勢に対する信頼感があるからこそ、重要なプロジェクトにおいても、メンバーが会社に対する関心を持って、「何のためにやるのか」という目的や意味を主体的に考え、試行錯誤できる。そのことがメンバーの視野を広げ、質の高い仕事へと向かわせるのである。