管理職という役割を1年間こなしたことがある。2009年1月から12月まで日経コンピュータの編集長を務めた。編集長を世の人々がどう見ているのか分からないが、実態は編集部員を束ねる管理職である。1985年に社会人となってから管理職に就いたのは1年間だけ、この経歴が良いのかどうか分からないが管理職を体験できたのは有り難いことだった。

 「携帯電話を持て。鳴ったらすぐに出よ」「毎日必ず出社し、机に座れ」。一体何かと言うと2008年に編集長の内示、正確には内示の前の口頭伝達を受けたとき、上司から命じられたことだ。当時の筆者は携帯電話を使っていなかったし、「編集部に座っていてもニュースはとれない」などとつぶやいて、もっぱら外回りをしていた。

 「編集長をやってみれば分かるが実に色々な問題が起こる。そのとき、判断を下すのが編集長だ。したがって連絡がすぐにとれないようでは困る」。上司はこう言った。「当たり前のことをわざわざ言われるとは、それまでどのような仕事ぶりだったのか」と呆れた読者がいるかもしれないが、居直って書いておくと記者が最優先すべきは面白い原稿を出すことであって編集部に顔を出すことではない。

 上司の命令であるから諦めて携帯電話を持った。ちなみに2014年になってもそのときの携帯電話を使っている。使い始めた当初はなんとも不愉快で電話に出るのが辛かったが、5年も使うと慣れたのか最近は真面目に応答しており「電話に出るようになりましたね」という評価を周囲からもらっている。

 「編集長をやってみると分かる」ことはたくさんあった。最優先すべきは面白い雑誌の編集だと思っていたが、それ以外の仕事がとにかく多い。歴代の編集長があれほど色々な仕事をしていたとは気付かなかった。仕事ではなく雑用と書きたくなるが、無論そうではなくすべて大事である。