東日本大震災から3年がたとうとしている。毎年この話題に触れているが、いまだ被災地に通う一人として、いよいよ「試される時期」がやってきた、と身構えている。震災直後から「最初の区切りは3年」という声が、財務当局を中心にささやかれていたからだ。

 その言葉の意味は、3年間に最大限の復旧・復興支援を行い、すべての被災地が回復できることを目指すというものだ。裏返せば、これまでの3年間の結果を踏まえて、その後の支援にメリハリをつけざるを得ないとも受け取れる、厳しい認識である。

 実に悩ましい問題だ。すべての被災地が復旧されるべきという願いは当然だ。しかし日本政府の財政も無尽蔵ではない。加えて、入札条件が厳しかったり、カネではなくヒトを確保できなかったり、あるいは原資は国の予算であっても地方議会の対応が困難─などの理由から、予算措置を講じても復旧・復興が進まないケースを多く見てきた。実際、私が支援するいくつかの自治体でも、道路費を使いきれないといった状況が見られた。

被災地でICTのニーズがかみ合わず

 ICT分野に関する復旧・復興支援も、容易ならざる3年間だった。当初こそ、物理的なインフラ復旧が進められたものの、ある一定程度の復旧が進むと、そこでは平時の経済合理性の壁が立ちはだかった。今後の人口回復の見通しが立たない集落でのインフラ復旧に難色が示される一方、災害対策として住居を高台へ移転することも遅々として進んでいない。そんな現状に、被災した場所で生活や仕事を再開させる人たちもいる。復興計画、生活実態、ICTのニーズがそれぞれかみ合わず、あちこちにエアポケットが生まれた。