小売店や飲食店の従業員が、店舗内の冷蔵庫や食品で悪ふざけをした写真をTwitterなどで公開し、炎上する─。今夏のネットをにぎわした残念な事件だった。

 世間の関心は高く、筆者もテレビ番組などでコメントを求められた。こうした番組や記事での論調は、若者のモラルの低下を原因に求める声が多かった。一方、以前からのネットユーザーからは「私たちが目指したネット社会は、こんなものだったのか」という、失望に似た声も聞かれた。

 確かに、非難されてしかるべき不適切な行いだ。その背景には、知的水準の階層化といった社会構造的問題も横たわっているだろう。そうした論考は社会学者に任せるとして、気になるのは、問題を起こした人と糾弾した人たちの双方にまたがる、ネットへの意識や理解の変化である。

 このような事件が耳目を集めた後に問題を起こした人は「確信犯」だと思う。しかし、それ以前に問題を起こした人たちからは、「自分たちだけのためにアップしたのに、勝手に見るな」といった反論が聞かれた。このような発言からは、ネットへアップしたらそれが世界に対して公開されるという、そもそもの理解が足りていない背景が見えてくる。

ネットがいよいよ大衆化した

 「ネットの構造を理解しない人がネットを使う」─。こうした状況を、驚きをもって、かつ批判的に受け止める向きも少なくない。しかしこのような動きは、ネットがいよいよ大衆化したという証左ではないだろうか。

 分かりやすい例を挙げれば、ネットは自動車と同じように誰もがその中身を詳しく理解しなくても、使える存在になったということだ。

 現在、日常的に自動車を運転する人のうち、その構造を正しく理解している人が、どの程度いるだろうか。「軽自動車だから軽油を給油する」という例はやや極端だが、おそらく私たちの自動車に対する理解は、自動車というシステム全体から見れば、そうした話と大差ないだろう。そして、それでも私たちは自動車を問題なく日常生活で使っている。

 ネットでも同じことが起こっているのだろう。従来のパソコンベースでのネット利用は、構造の理解が不可欠だった。しかしいまや、量販店の安売りで買ってきたスマートフォンで、気軽に使える時代である。ネットの構造云々を気にするほうが、むしろ「どこのマニアですか?」という話かもしれない。

 一昔前なら、こうした事件はネット内だけで話題になり、ネット内だけで完結して沈静化していった。しかし今回の事件は、テレビや雑誌といったマスメディアで大きく取り上げられ、社会全体の問題として扱われた。これもまた、ネットが日本社会に定着したことを、裏付けているように思える。

「ネットには免許が必要」との意見も

 ネットを使いこなす人たちからは「ネットは以前から社会に定着していたはずだ」と反論されるかもしれない。しかし実際は、ここまでネットが広く社会に浸透したのは、スマートフォンが一般化した、ここ数年のことだと考えるべきだ。

 それを喜んでばかりもいられないのは、今回の事件とその反応を見ても明らかだ。構造やルールを理解しない人にも自動車が広がったことで、事故が頻発し始めたというのと同じ状況とも言える。スマートフォンの普及が、まだ道半ばだと考えれば、自動車と同様、ネット利用にも免許制が必要だという声も、もはや看過できない。

 今はまだ単なる炎上や、規模の小さな金銭的な被害で済んでいるかもしれない。ただ今後、仮に生命の危険にかかわるような事案が起こってくれば、現状のままでは済まないだろう。