いささかしつこいが、今回の題名は前々回書いた『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか』と、前回書いた『「赤字受注する人」にいくら教えても「黒字受注」はできないのか』のもじりである。

 これまでの題名は「ならないのか」「できないのか」と疑問文にしていた。だが、記者になった1985年に「疑問文の見出しは原則として避けよ」と教えられたことを思い出したので、今回は「できない」と言い切ってみた。

「相当参っているみたい、たぶん辞めるね」

 このところ原稿を書こうとすると10年前、いやそれどころか20年以上も前に取材したことがあれこれと頭に浮かんでくる。その話をしてくれた取材先の表情まで思い出せるから、我ながら素晴らしい記憶力だと感心する反面、昔話を繰り返す年寄りになったのではないかという気もする。

 今回は、ある企業の情報システム部門で優秀と言われていた若手が辞めてしまった経緯を紹介する。20年近く前のことだった。

 「素晴らしい記憶力」と自分で書いた以上、時期を特定したいところだが、筆者の脳には数字に弱いという欠陥がある。年号とか金額とか台数とか人数になると、途端に思い出せなくなる。昨日の記憶にも20数年前の記憶にも高速ランダムアクセスできるのだが、数字情報が欠落してしまう。

 ここまで書いたところで、過去の記憶が浮上してきたので脱線する。2009年に日経コンピュータ誌の編集長になり、三菱東京UFJ銀行の畔柳信雄会長にインタビューしたときのことだ。「日経コンピュータの創刊はいつですか」と聞かれ、即答できなかった。

 畔柳会長は笑みを浮かべて「責任者は重要な数字を覚えていないといけませんよ」と言った。その助言を守っており、今なら即答できる。

 と書いたものの、やはり創刊時期がさっと出てこない。インターネットの検索エンジンを使って調べたところ、1981年10月であった。