2011年3月11日に発生した東日本大震災から、早くも2年半近くが過ぎた。東京の都心部にいると震災の記憶が次第に薄れていくが、東北地方の被災地では今でも震災の爪あとは大きく残っている。実際に被災地周辺を歩くと、放置されたままの瓦礫や壊れたままの店舗などが今も目立ち(写真1写真2)、真の復興からはまだまだほど遠い印象を受ける。

写真1●岩手県釜石市の中心部
写真1●岩手県釜石市の中心部
津波で大きな被害を受けており、現在も爪あとが残る
[画像のクリックで拡大表示]
写真2●三陸鉄道南リアス線の釜石駅
写真2●三陸鉄道南リアス線の釜石駅
釜石ー吉浜間は現在も不通のままで2014年4月に営業再開予定だ。不通の間、駅舎はカフェとして転用されていた。
[画像のクリックで拡大表示]

 岩手県釜石市は、震災後に発生した津波によって、市中心部が壊滅的な被害を受けた。その釜石市で、防災の日である2013年9月1日に、災害時の通信インフラの在り方を問う注目すべき実験が行われた。災害時に公衆無線LANサービスを、統一SSDIによって無料解放する実験だ(写真3)。携帯各社やベンダー、地方自治体など80以上の団体が参加する「無線LANビジネス推進連絡会」と釜石市が実施した。

写真3●携帯3社の無線LANアクセスポイントを、災害時に共通SSIDとし、誰もが利用できるようにする
写真3●携帯3社の無線LANアクセスポイントを、災害時に共通SSIDとし、誰もが利用できるようにする
[画像のクリックで拡大表示]

 実験は、携帯3社が自社のユーザー向けに限定して提供している公衆無線LANサービスを、災害時を想定して各社共通のSSID(今回は「JAPAN」)に変更。認証パスワードなども外し、無線LANを搭載している端末であれば、キャリアの壁を越えて、誰もが無料で各社の公衆無線LANサービスに接続できるようにした。

 実証実験の中心会場となった、JR釜石駅に隣接する「シープラザ釜石」は、東日本大震災の3日後に釜石市の災害対策本部となった場所。釜石市の野田武則市長は、「震災後1週間は携帯電話がまったくつながらず、衛星携帯電話が唯一の通信手段だった」と語る(写真4)。

写真4●釜石市の野田武則市長
写真4●釜石市の野田武則市長
[画像のクリックで拡大表示]

 さらに「水道や電気と並んで、通信インフラの確保は市民の安心につながる」(野田市長)と続け、今回の実証実験へ参画した思いを語った。なお今回の実証実験で中心的な役割を果たしているKDDIからは、釜石市役所に社員(同社復興支援室所属)が出向している。こうした事情もあって、釜石市での実証実験実現につながったようだ。