固定電話の将来を巡って、米国で議論が続いている。

 きっかけは、米ベライゾン・コミュニケーションズの提案だ。2012年秋のハリケーン・サンディで大きな被害を受けたニューヨーク州の一部で、固定電話サービスを独占的に提供していた同社が、今後は携帯通信サービスだけを提供したい、と同州公共サービス委員会に申請した。

 理由はコストと便益の問題。今回の被災地のように、需要増が今後見込めない地域では、固定電話網を復旧しても、再投資に見合ったリターンが期待できない。高度化が進む移動体通信にサービス基盤を移行させるのが合理的な判断─そんなベライゾンの目論見に波紋が広がった。

 被災者の反発はもちろん、被災地の一つであるニューヨーク州のシュナイダーマン司法長官は、「長年の通信サービスへの規制に対する挑戦」と批判。また米連邦通信委員会(FCC)も、さらなる調査を進めるべく、追加の情報開示を求めている。

 周囲のベライゾンへの警戒感は、以前からくすぶっていた。同社や米AT&Tといった米国の主要通信事業者は、固定電話のユニバーサル・サービス指定の廃止に向け、数年前から水面下で画策していたからだ。

日本も対岸の火事ではない

 ところで、固定電話網を巡る経済合理性の議論は、もはや日本においても、対岸の火事ではない。

 2012年度末時点におけるNTT東西の加入電話(ISDNを含む)の契約者数は2847万契約。この10年で半減している。また、緊急通報の発信も、10年前の時点で、携帯電話発が固定発を上回っている。直接的な原因が、IP通信とモバイルの普及にあることは論を待たない。IP電話やCATV電話など、それ以外の音声サービスを含めた「固定電話全体」を見ると、2002年度末の6078万契約に対し、2012年度末で5681万。NTT東西の加入契約者数の減少よりも小さい。

 一方で今日の携帯電話やスマートフォンの趨勢(すうせい)は、可搬性だけではなく、個人に最適化されたサービス・端末としての側面も大きい。社会的な認証や識別の手段の一つにもなっていることからも、それはうかがえる。

 技術・サービスだけでなく、日本社会の構造も、この10年で大きく変化した。家計所得はほぼ一貫して減少しており、また収入格差も徐々に開く方向にある。他の様々な消費活動を抑制せざるを得ない中、通信料金だけ聖域というわけにはいかない。

 大都市への集約や単身世帯も増加し、電話に限らず固定回線を導入する必然性が少しずつ薄れている。平日の日中に誰もいない家に、固定電話を引く必要性は乏しい。引っ越しなどのイベントがあるたびに、契約継続の是非が消費者から判断される状況にある。

 固定回線が世の中にいくつも存在する状況こそ不合理だという議論は、それこそかつての「光の道」論争でも、問題提起されてきた。その一方で、固定電話網そのもののIP電話化が進み、また固定電話自体がモバイルに代替されるという、社会的な位置づけを得た。長い目で俯瞰すると、マイグレーションは進みつつあると言える。

 ベライゾンの提案は、仮承認こそ得たものの、現在も議論が続いており、見通しは定かでない。しかし同社の本当の狙いは、申請の結果いかんよりも、これまでの「ユニバーサル・サービス」という概念が、もはや実態に即していない状況を明らかにすることにあるのかもしれない。

 背景要因は異なれど、問題の構造は日本も似た状況にある。産業構造に直接影響を及ぼすこともあり、ともすればこれまで及び腰だった固定電話の将来、ひいては通信サービス全体の在り方について、日本でも検討を深めるべき時期が訪れている。