去る12月2日、中央自動車道笹子トンネルの天井が崩落するという事故が起こった。筆者自身もよく通る道だけに、他人事とは思えないというのが正直な感想である。

 この事故をきっかけに、日本各地の社会インフラの老朽化に関する議論が広がっている。2009年4月の総務省調査によると、たとえば約8500本あるトンネルのうち、建設後50年以上を経過するものが現時点で18%、20年後には46%程度まで増加するという。

 これに対し政府は、長寿命化修繕計画策定事業の策定や、社会資本整備重点計画法に基づく整備を進めている。国土交通省の試算によると、従来通りの維持管理・更新を進めると、25年後には維持管理・更新にかかる費用が、投資総額を上回るとしている。

 今回の事故は、完成から長い年月が経過して点検の必要性を指摘されていたにもかかわらず、十分な点検が行われていなかったことが原因と言われている。さらに厳しく指摘すれば、社会インフラがどうなっているのかが、もはや誰も分からない状態だったとも言える。

 筆者がこの問題を強く意識するのは、トンネルや道路への不安そのものが理由ではない。通信産業に関わる人間として、率直に既視感を覚えたからだ。

通信インフラ障害も同じ構図か

 ちょうど1年前の年末から春先にかけて、NTTドコモの通信インフラで大規模な障害が頻発した。直接の理由は、スマートフォンの爆発的な普及とフィーチャーフォンを前提としたインフラのミスマッチ。それ自体は同社に限った話ではない。またドコモがLTE(Long Term Evolution)の普及促進を含めた対策を講じた結果、現在は改善したように見える。

 しかし先の障害は、認証系や制御信号系のコアネットワークで起きた。そのインフラの根幹で起こった事故の原因が、通信事業者自身の販売したスマートフォンだった。それを予見できなかったということは、彼らがインフラや端末の実態を理解できていなかったということになる。

 今回の天井崩落事故で、点検すべき事項そのものが不十分だった点と同じような話である。実態が分からないまま従来通りで大丈夫という甘い見通しのままでいたことが、大きな事故を招いてしまった。

 通信事業者が悪い、あるいはインフラを作った道路公団や道路会社が悪いといった単純な話ではない。もちろん当事者である以上、事業者が批判を免れない面はある。しかし、インフラの規模やその背景にある需要が、人間の管理能力を超えているとしたら、闇雲に事業者を批判したところで、何ら解決にはつながらない。

グランドデザイン見直しを

 インフラを現状の構造そのままに増強すればいいのか。道路も通信も、同じ問題を抱えている。

 移動体通信の利用スタイルのトレンドは、当面スマートフォンに収束するだろう。しかしその寿命は長くなさそうだ。端末がスペック競争に入る中、「次」を探る動きは、水面下で進みつつある。そして同じことが自動車の世界でも起こっている。

 また通信と交通の如何を問わず、トラフィックは東京圏で発生している。その巨大な流通を支える投資が進むと、東京圏への集中がまた加速する。こうした状況を変えるには、一極集中そのものの解消が必要だ。ただ、そのコストは誰が負担するのか。議論はまだ尽くされていない。

 高度経済成長期に整備が進められた日本社会が曲がり角に来ている。従来のパラダイムを維持するのか、あるいは21世紀に相応しい新たなグランドデザインを考えるのか。それを考えるべきタイミングを迎えていることを、一連の事故は暗示している。