お客さんと世間話をする、相手が困っていたら親身になる、たまにはお客さんが驚くようなことをする、オーナーから信頼されて任されている従業員がいる、少し割高でも常連がたくさん集まる――。

 こんなお店があると聞いたら、下町の商店か、老舗の温泉旅館かと思われるかもしれない。いやいや、昔はあったかもしれないけれど、低価格の大型チェーンの普及で、今ではそんな店は見かけなくなったと思われるかもしれない。しかしこれは、下町の話でも温泉街の話でもなく、米国のアップルの直営店、アップルストアの話なのだ。

アップルは全米ナンバーワンの小売業者

 アップルストアは、iPhone、iPad、Macなどアップル製品を販売する小売店。2001年に最初の店舗がオープンし、今では世界各国に370店舗以上ある。日本でも銀座、名古屋栄、大阪・心斎橋など7店舗を運営する。アップルストア単体も好調で、全米で1平方フィート当たりの売上高は、高級宝飾店のティファニーに大きな差をつけてトップを維持している。アップルは、世界有数のメーカーであると同時に、全米ナンバーワンの小売業者でもあるのだ。

 ここで、「そりゃあiPhoneやiPadは売れているし、単価も高いのだからアップルストアの売上も高くて当たり前」と思われるかもしれない。もちろん、製品の魅力によるところもアップルストア好調に大いに関係しているはずだ。しかし、アップル製品は値引きがある量販店でも買えるし、ネットでも買えるのに、アップルストアは定価販売だ。なぜ、安くもないのに、わざわざアップルストアで買うのだろうか? 

 それは、アップルストアの「エクスペリエンス」(体験)にあると、『アップル 驚異のエクスペリエンス』の著者、カーマイン・ガロ氏は解説する。本書の担当編集者である筆者が、内容の一部と併せて、編集を通じて感じたことなどを紹介したい。

修復すべきはコンピューターではない

 アップルストアの真骨頂は、「売る」ことを目的にしていない点にある。従業員は歩合制ではないため、長時間の説明や相談のあとでお客さんが何も買わずに帰っても、報酬が下がるわけでも、上司に叱られるわけでもない。アップルストアが気にするのは、お客さんが「またアップルストアに来たい」と思ったかどうかだ。アップルストアでの体験が楽しく素晴らしいものなら、アップル製品の評価も上がるし、店にも再訪したくなる。だから、お客さんがその場で買わなくてもかまわない、というわけだ。

 さらにアップルは、この「アップルストア・エクスペリエンス」を高めるために、現場の従業員にある程度の権限を与えている。その一つが、製品の保証期間を過ぎた場合や、水の中に落とすなど顧客の過失で修理が必要なケースでも、「それが正しいこと」だと従業員が「判断」したら、新品に交換しているという事例だ。

 皆さんご存知のように、アップル製品は安くはない。iPhoneもiPadも数万円もする。これを無料あるいは安い修理費で新品とその場で交換されたら、お客さんは驚き感動し、アップルストアのファンになってしまう。こうした効果と顧客の購入履歴や、交換することがアップルにとってプラスになるかを考えて、従業員がその場で判断しているのだ。

 いくら顧客をファンにするためとはいえ、なぜここまでできるのだろうか。その疑問に答えるようなアップルの言葉が紹介されている。

「修復すべきは、コンピューターだけではない。アップルと顧客との関係を修復できる」

 アップルは、製品を作るだけではなく、製品を通してお客さんとの関係も築いているのだ。