世間やマスコミは、不祥事の当事者を糾弾するのが常である。その背景に存在するのは、「『悪人』だから不祥事を起こした」という考え方だ。

 しかし、研究者として申し上げると、日本における不祥事の多くは、組織内のいろいろな事情(筆者は「潜在的原因」と呼ぶ)によって、問題行動が誘発・助長されたものだ。その当事者は必ずしも「悪人」ではない。ちょっといい加減で、周囲に影響されやすく、すぐに惰性に流れ、目先のことばかり気にするサラリーマンたちである。

 結果として彼らは不祥事を起こしたが、我々との間に明確な一線が引かれているわけではない。ほとんどの人は、彼らと同じ立場に置かれれば、やはり同じことをするだろう。だからこそ、不祥事を他山の石として、その教訓を学ばなければいけないのだ。

潜在的原因の解消には組織改革が不可欠

 組織内の様々な潜在的原因が有機的に複合して不祥事を引き起こす以上、その当事者をとがめだてするだけでは意味がない。潜在的原因そのものを解消していくことが必要であるが、なかなかそれができない。だからこそ、同種の企業不祥事が延々と繰り返されている。

 潜在的原因の解消が進まない理由として第一に挙げられるのは、関係者にとって大きな負担を伴う組織改革が避けられないことだ。

 例えば、社内教育の不足が不祥事を引き起こしたケースを考えてみよう。「だったら教育をしっかりやるだけではないか」と安易に考えてはならない。そもそも社内教育が重要であることは誰でも知っているのに、どうしてうまくいかないのだろうか。

 ベテランの大量退職によって、実務に則した社内教育を行う者が少なくなった。成果主義が導入され、誰もが自分の実績評価に直結する仕事に執心するあまり、後輩への指導が疎かになった。コンプライアンス(法令順守)部門が社内教育の実施回数ばかり重視するので、教育の中身が工夫されずにマンネリ化している。「社内教育はあくまで建前で、本音は別にある」という意識が社内にまん延している・・・・など。

 ざっと見ただけでも、社内教育の不足の背景に位置する潜在的原因が非常に根深く、その解消が一筋縄ではいかないことをご理解いただけるだろう。

 ベテランを再雇用すれば、それだけ若手の採用が抑制されて組織が老化する。いったん鳴り物入りで導入した人事評価制度を改変するのは至難の業だ。社内教育の回数でなく「質」を向上させようとしても、一体どうやって教育の「質」を見極めたらよいのか。ましてや組織文化の改革には、最低でも10年はかかると覚悟した方がよい。

 実際のところ、不祥事が発生した組織では、「当事者個人に安全意識や倫理観が不足していた」というストーリーでお茶を濁しているケースが非常に多い。これは、個人的問題を矢面に掲げることで、大きな痛みを伴う組織改革から敢えて目を背けているのである。

中間管理職の質的劣化

 潜在的原因がなかなか解消されない理由の第二は、突破力のある中間管理職が少なくなったことだ。

 組織改革に対して消極的に抵抗する社内勢力は必ず存在する。逆に言えば、そうした抵抗勢力を無理やり引きずっていくほどのイニシアチブを発揮しなければ、組織改革は成功するものではない。

 残念ながら、日本型組織ではいまだに調整型の人物がトップに就いており、組織改革についても抽象的な理念を示すだけで、後はボトムアップにお任せとなってしまうことが多い。ところが、突破力のある中間管理職がめっきり減ってしまったために、困難な課題ほど先送りされ、現状を糊塗する弥縫策(びほうさく)が採用されがちである。

 この中間管理職の質的劣化を筆者が思い知らされたのが、懇意にしているA社の中途採用試験に同席させてもらった時のことだ。

 募集ポストは電機系の技術管理職で、A社では即戦力となる人材を求めていた。試験会場に集まったのは40代の男性5人で、履歴書を見ると、いずれも日本では知らぬ者がない大手家電メーカーでそれなりのポストに就いていた方ばかりだった。

 試験内容は、A4紙1枚のケーススタディーについて、全員で1時間ほど議論してもらうという方式である。高い経験値を持つ受験者ばかりなので、さぞかし熱のこもった討議になるだろうと期待したが、議論が皮相的なところを行きつ戻りつするだけで、いっこうに深化しない。そのままだらだらと1時間が過ぎ、結局は全員不採用となった。

 筆者は、面接者の奥山典昭・概念化能力開発研究所代表に、「あれだけの経験を持つ方たちなのに、どうしてあの程度の議論しかできなかったのでしょうか」と疑問をぶつけた。それに対する奥山氏の回答は明解だった。