「日本IBMの社長が外国人に交代したので、我々にとってはチャンスだね。もっと(日本IBMから)顧客が離れるよ」

 ある日本の大手ITベンダーの首脳は真顔でこう語る。実際、記者もそう思っていた。ただ、日経コンピュータの2012年10月11日号で「蘇生 日本IBM」という特集を企画し取材を進めるうち、日本のベンダーにとって手強い相手として復活を果たすのではと感じ始めた。

 忘れもしない今年3月30日。緊急記者会見で日本IBMの社長が、橋本孝之氏から米本社の経営企画担当のマーティン・イェッター氏に交代という情報が入ると「ついにその時が来たか」と思った(関連記事)。日本では“無名”でしがらみのないイェッター氏が、もうかる大手顧客向けの事業だけ残し、大規模なリストラに取り組むのだろう。2000年初頭の最盛期からおよそ半分の8600億円まで縮んだ売上高はさらに下がるが、それもやむなしという戦略か――。

 しかし取材を進め、“イェッター改革”の片鱗が明らかになるにつれて、「そうではない、本気で成長を狙う」と思うようになった。

「IBM Japan」から「Japan Team」へ

 今年9月11日、皇居近くに竣工したばかりのパレスホテルに「IBM」のバッチをつけた多くの関係者が、険しい表情で行ったり来たりしていた。日本IBMの75周年イベントで米本社の最高幹部が大挙して来日し、記者会見を開催したり、顧客企業のCEO(最高経営責任者)向けのイベントを開いたりしていたからだ。バージニア・ロメッティCEOやサミュエル・パルミサーノ会長(当時)の2トップまで、プライベートジェットで駆けつけた。

 キリのいい日本IBMの70周年では目立ったイベントはなかった。つまり、同イベントは、イェッター社長の戦略実行を全IBMで支援することを示す場でもあった。筆者はこうして日本を訪れた幹部や、米国の幹部などにインタビューした中から、一つのキーワードを見つけ出した。「Japan Team」だ。筆者が以前、2009年まで日経コンピュータに在籍していた時には「IBM Japan」と言っていたと記憶している。

 つまり、日本IBMは米IBMの戦略を実行するための“日本チーム”となった。従来、日本IBMはローカルの手法も併用することで、顧客の高い評価を得てきた。そうした例外を排除してグローバルの動きに同期させていくということだ。

 こうした動きの中で短期的には、冒頭の首脳が言うように顧客のIBM離れが起こるかもしれない。しかし、中期的な視点に立てば、グローバル化という課題を解くため顧客は日本IBM、つまりJapan Teamを通してIBMと付き合わざるを得なくなる――。イェッター社長はそう見て、戦略を組んでいるように見える。

垣間見えるIBMらしい人材管理

 そのためのタレント(人材)も用意した。

 9月中旬、中堅・中小事業を統括する米IBMのスティーブ・ソラッゾ ゼネラルマネージャー(GM)が日本への駐在を始めた。1兆7000億円と日本IBMの2倍もの売り上げの事業を統括する大物が、日本に駐在して市場開拓に乗り出すわけだ。

 Japan Teamの要求も米本社に通りやすくなる。逆にJapan Teamのリソースを活用して、アジアに展開する日本企業を支援したり現地企業を攻略したりする構図が見えてくる。

 増える外国人幹部に競合のITベンダーや大手ユーザーから「顧客との対話を軽視しているのでは」との声が聞こえてくる。ただ、よくよく幹部の経歴を見ると、IBMらしいタレントマネジメント(人材管理)がなされていることに気付く。管理畑の米IBM出身の幹部だけを見ていると見誤る。

 例えば、コンサルティングやシステムインテグレーション(SI)を担当するGBS部門のケリー・パーセル専務。京都産業大学で学び、伊藤忠商事にも在籍した日本通のニュージーランド人だ。また、ソフトウェア事業を担当するヴィヴェック・マハジャン専務は、日本オラクルから移籍したインド人。両者ともここ2年でJapan Teamに参加しており、日本語も話す。

 これらのJapan TeamがグローバルのTeamと連携しながら、日本の顧客企業のグローバル化を支援する。日本のITベンダーにとっては、苦手とする土俵だろう。ゲームを変えて日本市場の攻略に挑むIBMのJapan Team。その戦略が功を奏せば、日本のITベンダーが対抗策を打ち出したり、業界再編に乗り出したりするきっかけになるかもしれない。筆者はこうした動きによって、最終的には日本のIT業界が活性化すると信じている。