このところ、日本企業の海外市場への進出についての相談が増えている。先日も、とある有名アプリ事業者の方とアジア地域への進出について話した。ここで、担当者は「調べれば調べるほど市場が一層分からなくなってくる」と悩んでいた。

 例えばタイ。彼の地でもご多分に漏れずスマートフォンの普及が進み始めている。そのアプリ市場を調べてみると、日本と同じアプリの値付けでも、現状では十分商売として成立しているという。東南アジアで成長が進んだ国々では、タイと似たような傾向にあるようだ。

どうして高くても売れるのか?

 1人当たりのGDP(国内総生産)や購買力平価を考えれば、日本と同額という値付けは、おそらく現地の人にとってみれば5~10倍程度は高く感じるものだろう。その価値を分かっているからこそ、現地の人は買ってくれるのだろうが、この読み解き方が難しい。

 一つの考えは、スマートフォン自体が富裕層を中心に普及しているという予測。アジアの富裕層は平均的な日本人と同じか、それ以上の可処分所得や資産を有している。その分、多少高くても対価を支払う余裕がある、という考えだ。しかしこの説明は、スマートフォン普及の裾野が広がりつつある現在、説明が困難になりつつある。

 いわゆる「ジャパン・ブランド」の影響という考えもあるだろう。東南アジアの人々が日本製のサービスに対して、一定の評価・信頼や憧れを抱いてくれているのは、アプリに限った話ではない。ただ、日本製以外でも同様の傾向は散見されるようだから、必ずしも絶対的な理由には当たらない。

 あれこれ考えてたどり着くのは、「高い値段を払うことが利用者自身のアイデンティティーを高めている」という考察である。よくマーケティングの教科書などで「値段を上げたら売れた」という話があるが、それに近い考えが最も腑に落ちる。

新興国市場の価値観を受け止めよ

 新興国でそうした声を聞くのは、筆者自身も初めてではない。いまから7、8年ほど前に、中国の携帯電話市場を現地で詳細に調べたことがある。特に沿岸部では、自分の年収の数カ月分に近い携帯電話を、ほぼ毎年買い替えるという若者が、それこそ工場の臨時作業員という給与水準の人々の間でも少なくなかった。

 自国の経済成長に圧倒的な自信を持っていること、そしてそれを裏付けるようにインフレが進むため、カネで持っているより消費してしまったほうがいいと感じていることも背景にあるだろう。しかし、そんな理屈っぽい説明を抜きにして、彼らが異口同音に言っていたのは、「そうやって新しい高額端末をどんどん買い替えられる自分自身が好き」ということだ。

 「アイデンティティーと高額消費」というのは、一見すると経済合理性と対立する話であり、分かりにくい。ただこれは、昨今ソーシャルゲームに多額のお金をつぎ込む人が少なくない理由と、似ているのではないか。日常生活に不満を抱いていたり、周囲から取り残されたような疎外感を覚えたりする時、一瞬であっても「カネで尊敬が買える」のであれば、それを手に入れたいという人間心理である。

 そうした意識や価値観を「くだらない」と卑下する人もいるかもしれない。しかし、それが動機となって成長を続ける市場というのも、世界には存在する。そして新興国の経済発展とは得てしてそういう代物かもしれない。

 私たち日本人は、長年のデフレ経済に慣れきってしまい、このような市場環境に久しく縁がなかった。しかし成長の可能性を新興国市場に求めざるを得ないとしたら、そもそもの価値観の違いは、もっと重く受け止めるべきではないか。