「一日でフェラーリ一台に相当するカネが無駄に飛んでいる」――。そのプロジェクトに参加していた技術者の間ではこんな皮肉が交わされていたという。

 特許庁は2012年1月、新基幹システムの開発を中止した。2006年12月の開始から5年におよぶプロジェクトは、まさにデスマーチと呼ぶにふさわしいものだった。その間、誰もプロジェクトを止めることができなかった。

 最盛期に当たる2008年には、システム要件を確定させるため、1100~1300人がプロジェクトに参加した。開発を担当するITベンダーは、人材派遣会社や協力会社を通じて、大量の人材をかき集めた。設計チームが入居していたビルは一気に手狭になり、机の1人当たりのスペースは「どうにかノートパソコン一台おけるくらい」に縮小した。

 あるチームは現行の業務フローを反映した文書をひたすら作成した。あるチームは特許にかかわる法律を紐解き、業務やデータベースの項目を洗い出した。成果物の基礎となる規約もなく、成果物の質に大きなばらつきが生じるのは必然だった。工数を掛けずに低品質の文書を量産し、労せず利益を得る協力会社もいたという。

 特許庁は2009年4月、システムに詳しい職員を参加させるなど、プロジェクトの仕切り直しを図った。当時を知る技術者は「やっと特許庁側に『何が正しい業務か』を判断できる職員が現れた。これでようやくプロジェクトが回り始めた」と振り返る。

 だが2010年6月、ITベンダー各社が特許庁の複数の職員にタクシー券など利益供与をしていたことが発覚。中核を担っていた職員もプロジェクトから離れた。もはや、プロジェクトの失敗は明らかだった。

 だが、誰もシステム開発の中止を決断できなかった。ITベンダーも自分からは「ギブアップ」とは言わず、プロジェクトはずるずると継続した。

 2011年頃には、プロジェクトはほとんど開店休業となっていた。参加している技術者同士、今の状況を聞くのはタブーだった。要員は500人に縮小され、早期に帰宅する技術者も増えた。

 ことここに至り、一部の関係者がプロジェクト中止に向け動き始めた。このとき持ち出されたのが、利益供与事件をきっかけに2010年6月に発足した調査委員会である。この調査委員会をベースとした技術検証委員会は2012年1月に「開発終了時期が見通せない」とする報告書を公開。この報告書を根拠に、枝野幸男経済産業大臣がプロジェクトの中止を表明した。