読者のみなさんは「タレントマネジメント」という言葉を聞いたことがあるだろうか。特に「グローバル化」という文脈でよく使われるが、芸能人と所属事務所の契約関係を思い浮かべるかもしれない。かく言う筆者も、つい数カ月前までは聞いたことがなかった。

 では、「グループ人材を世界の適所に 日立製作所、900社の人事共有」「ファーストリテイリング、人事制度世界で統一 国境越え店長異動」といった新聞記事を読んだことがあるだろうか。

 見出しくらいなら見覚えがある、という読者は多いかもしれない。これがまさにグローバルのタレント(才能など特性)マネジメント(管理)である。今回取材した国内の大手ITベンダーや人事コンサルタントの多くが「ここ1年で問い合わせや実導入の案件が急に増えた」と口をそろえる。

 なぜ今、日本の大手企業が雪崩を打ったようにタレントマネジメントに取り組むのか。取材の中で分かったのは、海外企業に比べてグローバル人材の活用で後れをとっていることに、ようやく危機感を抱き始めたということだ。決して気づいていなかったわけではない。

 例えば、日本企業のアジア拠点の優秀な人材が、欧米の大手企業に高給で引き抜かれているケースが出てきているという。そうした人材の存在を日本企業の本社が把握していない。仮に知っていても、本社の幹部に積極的に登用したり、現地のトップに据えたりと戦略的な活用をしている企業はごく一部だ。

 国内市場の停滞で海外ビジネスの比重が高まり、全社人員の比重は海外が圧倒的に多い企業が少なくない。しかし人事の仕組みは日本中心のまま放置されている。結果として、様々なところで問題が起き始めている。

●ケース1:幹部が突然辞職し、後任決まらず

事業部:「アジアのA支店で現地出身の事業部長が競合の海外企業に引き抜かれました。後任者の候補で相談したいのですが」

人事部:「すぐに適任者を選ぶのは不可能です。実は海外の人材情報は、各国の事業所にExcelデータがあればいい方で、紙ベースのところもあります。それらの情報を手作業で収集しなければなりません」

●ケース2:役職のレベル感がバラバラ

社長:「全世界の課長クラスの従業員のうち、将来有望な人材を選出して集合研修を行いたい。早速準備してくれ」

人事部長:「無理です。そもそも国や地域ごとに人事制度を任しているので、“課長クラス”の定義が異なります。人事制度そのものを見直して、グローバルで1つの階級を作るところから始めないと」

●ケース3:現地の体制が分からず

部長:「今度、中国に出張するけど、誰と最初に話をすればいいかな」

課長:「おそらく部長のカウンターパートは、去年出張してきたAさんじゃないですか。現地の最新の組織図が手元にないので、見当つかないのです」

●ケース4:現地に疎い日本人がトップに

海外事業部長:「中国での新規案件、また欧州のB社に負けました」

社長:「それでも違う案件は受注できたと聞いたが」

海外事業部長:「B社は現地の優秀な人材がトップセールスをして、良い条件の案件を獲得しています。当社のトップは代わったばかりの日本人でして、そこまでは無理です。採算の悪い案件を受注しました」

●ケース5:「買収企業がタレントマネジメントを推進」

人事担当役員:「この前、買収したC社ですが、タレントマネジメントを導入していまして。本社との人事交流を提案しています」

社長:「タレント…、なんだそれは。海外子会社は現地で製品を売ってもらったり、製品を低コストで製造してもらったりするのが役目じゃないか」

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 これらは、日経コンピュータ6月21日号の特集『基幹系にはまだ夢がある 次は「タレントマネジメント」だ』を執筆した際の取材で得た情報を総合したものだ。

 全世界の人材情報を調査し、データベースや情報システムを整備してタレントマネジメントに本格的に取り組めば、こうした局面に「わかりません」「適任者を配置していませんでした」といったケースはなくなるだろう。「X事業の経験5年以上」「日本語の会話能力中級以上」「YとZの社内資格を取得」といった条件で、ふさわしい人材をコンピュータが即座に列挙してくれる。

 もっとも、タレントマネジメントは万能ではない。例えば、システムに頼ってデータだけで選抜すると、「他の従業員の成果達成を助けるけれども目立たない」といった人材が見過ごされてしまう可能性がある。企業の経営陣がしっかりとした海外戦略を持って、それを人事の方針に落とし込んでこそ真価を発揮する。逆に言えば、現場に丸投げでは、人材情報の更新も含めて制度が形骸化してしまうだろう。

 日本で始まったばかりのタレントマネジメント。日本に根付くか、ブームにもならずに消えてしまうのか。調査会社のガートナーによると、日本ではタレントマネジメントが先進テクノロジーのハイプサイクルにおける「過度な期待」のピークにあるという。いずれにしても、日本企業がグローバルで競争力を取り戻すための、重要なカギの一つとなるのは間違いない。