題名は短いほうが良いと考えたが、正確には「“大きなデータ”が小さい話で終わりかねない訳」とすべきであった。

 “大きなデータ”は昨今のIT企業各社がしばしば言及する話である。将来がある言葉だろうから「小さな話で終わる」と決めつけるのは早い。

 なぜ英語を使わず「大きな」と書くのかと思われたかもしれない。片仮名表記の新語を好まないからであり他意はない。

 大きなデータは本来大きな話になるはずである。これまで扱えなかった大きなデータを最新のITで獲得し、分析し、事業に貢献する情報を抽出するというのだから、経営者や事業部門にとって魅力的に聞こえる。

 新しい言葉は慎重に育てないといけない。肥料や水を与えすぎてはならないし、芽が出た程度なのに「食べられます」と売り出してはまずい。このあたりで間違えると「小さな話」で終わってしまう。

大きなデータをとりまく三つの懸念

 大きなデータに関して現状を見ると三つの懸念がある。

 第一の懸念は、事業に貢献できる使い方を誰が考えるのかということである。「これまで扱えなかった大きなデータ」を扱えるようになったのは結構だが、それで一体何をするのか。

 事業に関わる事項だから、経営者や事業責任者が考えて決めることである。情報システム部門やIT企業は提案を出したり助言はできるものの、決定はできない。

 データと聞いただけで「それはシステム担当者の仕事」と退いてしまう経営者がいる。逆に経営者が期待をかけ過ぎ、システム部門やIT企業が応えられない場合もある。

 ある企業の社長は現場に提案を求めたものの、出てきた答申を受け入れず、コンサルティング会社に声をかけ、「現場で考えると小さくまとまってしまう。もっともっと大きな話にしてほしい」と要請したという。

 二番目は「インターネット関連事業で若手技術者が最新技術を駆使する話」に限定されてしまうことである。インターネット関連事業が成長するのも、若手が新しいデータ格納技術を使って活躍するのも、ともに結構な話で文句などない。

 ただし、そればかりが大きなデータの事例だと強調されると「うちはネット企業ほど大量かつ増え続ける顧客データを持っていない」「現状のデータベース管理システム以外に新しい技術を入れるつもりはない」といった反応を引き起こし、「大きなデータは我が社には縁遠い話」と誤解されかねない。