2012年5月末に開催された国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)では、原発事故が発生した際のリスクコミュニケーション(以下では、用語の意味を「緊急時の広報対策」に限定して論じる)に関して、委員たちが「なぜ記者会見で専門家を同席させなかったのか」と追及した。

 これに対して枝野元官房長官は、「残念ながら、深い専門的知識を有し、なおかつ分かりやすく説明できる方がいなかったため、専門家のレクチャーを私が聞いて、それを咀嚼して発信せざるを得なかった」と回答した。この回答は、政府だけでなく民間企業にも共通する危機管理上の問題点を浮き彫りにするものだ。

専門家はコミュニケーションが下手

 国会事故調の委員は、専門家を同席させていれば、もっと上手にリスクコミュニケーションができたはずと考えているのだろうが、それは思い込みにすぎない。

 例えば、技術上の原因によって不祥事が生じたケースでは、記者会見での受け答えを技術者に任せる企業が多いが、読者もご存じのとおり、「説明が分かりにくい」と批判されるのが常である。つまり、専門家だからといって分かりやすく説明できるとは限らず、むしろ専門家は概してリスクコミュニケーションが下手というのが筆者の印象である。

 その理由の第一は、専門家は専門家同士で仕事をすることが多く、一般人(つまり素人)と接触する機会が不足していることだ。もちろん専門性のレベルが高くなればなるほど、その傾向が強まる。そのため、一般人とコミュニケーションを取る能力が基本的に低く、相手の理解度がどれほどかを認識できずに専門用語を多用するのである。

 第二の理由は、専門家はとかく正確性にこだわることだ。こうしたこだわりは研究者には不可欠の資質なのだが、リスクコミュニケーションの担当者としては不適格である。正確性にこだわれば、説明はやたらと長くなるうえに、内容も複雑となってしまうからだ。

 一つエピソードを紹介しよう。筆者は、某化学品メーカーで、製品中に含まれる微量の化学物質の安全性について一般向けに説明するプレゼン資料を見せてもらったことがある。その資料は約30枚という分厚いものであるうえに、過去の経緯から事細かに解説しているため、問題の化学物質が登場するのは20枚目くらいからだ。こんな資料説明を聞かされる側はたまったものではなく、理解どころか反感を強めるのがむしろ普通だろう。

 第三の理由は、専門家であろうとなかろうと、日ごろから訓練をしていない者は急場で役に立たないということだ。特に記者会見の壇上は、まさに針のむしろで、その緊張感や圧迫感は想像を絶するものがある。いくら技術に詳しいからといって、これまで専門家仲間の閉じた世界でのんびり仕事をしていた人をそういう修羅場にいきなり引っ張り出せば、まともに受け答えができなくなるのは当然である。

リスクコミュニケーションに対する誤解

 リスクコミュニケーションに本当に必要とされるのは専門能力ではなく、専門家の言葉を適確に理解したうえで、それを一般人向けに分かりやすく説明する能力である。そうした人材を育成するには、技術者の中からコミュニケーション能力に秀でた者を選抜して、広報部などで経験を積ませるのがよいだろう。

ちなみに筆者は、大学時代の前半は理科系で、後半から経済学部に転じたという変わった経歴を有している。そのことが、技術的トラブルによる不祥事を分析し、一般向けにかみ砕いて執筆するのに大いに役立っていることを付記しておく。

 見方を変えると、そうしたリスクコミュニケーションに長けた人材の必要性がこれまで十分に認識されていなかったことが問題の本質である。その背景として、リスクコミュニケーションが一般の広報活動と混同されて、「とにかく情報を流せば事足りる」という誤解が広まっていることを指摘したい。

 これまでの企業広報は、商品やサービスを売り込むSell型が中心であり、(建て前はともかくとして)企業の伝えたいことを一方的に流すだけでよかった。しかし、リスクコミュニケーションは、相手に協力や理解を求めることを目的とするPersuade型である。従って、相手に分かりやすいように説明を工夫するのはもちろんのこと、こちらが伝えたい情報だけでなく、「相手が知りたい情報を伝えて納得していただく」という相手本位のコミュニケーションを心がける必要があるのだ。

 こうしたリスクコミュニケーションの本質を理解せず、「とにかく情報を流せば事足りる」という発想にとどまっている限り、失敗はいつまでも続くことだろう。近年、危機管理という言葉がすっかりお手軽になり、誰もが分かったつもりになっているようだが、実情は依然としてこの程度にとどまっているのである。