出社すると、机の上に妖しい物が置かれていた。文庫本が2冊あり、表紙カバーには下着姿で微笑む美少女のイラストが描かれている。美人を眺める機会に巡り合えば嬉しいと思うものの、少女を愛でる趣味は無い。

 あまり顔を見せないことに対する嫌がらせか、それとも誰かが文庫本を置き忘れたのか。とにかく文庫本を裏返し、表紙が見えないようにしてから電子メールを確認する。日経コンピュータ編集部の記者から「SE本を差し上げます」というメールが来ていた。

 「SEについてしばしば書いておられますが、今時の実態をご存じないようです。お渡した2冊を読んでみるとよろしいのではないかと思います」。

 この記者は最新技術に強く、取材力も筆力も英語力もあり、人前で話をするのもうまい。なかなかの人物なのだが欠点もあり、その一つは先輩に対する口の利き方を知らないことである。

 「確かに最近は取材していないが、日本の情報システム開発現場なら20年以上歩き回ってきた。クラウドの話ばかり追いかけている君とは違う」。

 後輩記者から来たメールを読んで腹が立ち、上記のごとく返信しようと書きかけたが、大人気ないと考え直し、応答せずに後輩のメールを削除した。

 続いて文庫本を手近のゴミ箱に叩き込もうと持ち上げたが、本を捨てることには抵抗がある。昔から買った本は溜め込むたちで、出版社に勤務するようになり本をますます捨てなくなった。とりあえず文庫本2冊を鞄にしまい、家に持って帰ることにした。

 家族に見られたくないので夜が更けてから文庫本を取り出し、表紙カバーをまじまじと見た。題名は『なれる!SE』と『なれる!SE 2』という。SEを“SYSTEM ENGINEER”ではなく、“SYSTEMS ENGINEER”と表記している点に好感が持てたが、後は駄目だ。

 「2週間でわかる?SE入門」だの「萌えるSE残酷物語登場!」だの「システムエンジニアの過酷な日々をコミカルに描く問題作!」だの不快な文言が並ぶ。ご丁寧に「過酷な日々」に「デスマーチ」とルビが振ってあった。

 手にとって開いてみると、美少女のカラーイラストが数ページにわたって載っており、中には着替えをしている絵もある。むっとして本を引っくり返し、後ろから開いて「あとがき」を読もうとすると、「SEだけにはなるな」といきなり書いてあった。さらにむっとする。

 著者である夏海公司氏は大学のゼミ時代に担当教授からそう言われたそうだが、結局SEの仕事に就いた。しかし激務に追われ、入社後数年で退社し作家に転身した。

 「最前線から逃亡しておきながらSEを茶化す本を書くとはけしからん」と思ったが、こちらは記者の仕事しかしておらずSEの経験はまるでない。

 中身を読まずにむっとしていても仕方がないのでカラーイラストを開かないように注意しつつ本文を読み始めた。