最近無線LANの記事を書く機会があり、IEEE 802.11aや11b、11gなど古い規格も含めて標準化当時を知る研究者に話を聞きにいった。記事のテーマは無線LANの高速化技術。話を聞くなかで最も印象深かったのが、1999年に規格が策定された11aにまつわるエピソードだ。

 11aについて取材をお願いしたのは、京都大学大学院情報学研究科 通信情報システム専攻の守倉正博 教授。守倉教授は11aの標準化にNTTの研究者の立場で参加し、当時の米ルーセント・テクノロジーと共同でOFDM(Orthogonal Frequency Division Multiplexing)と呼ばれる変調方式を提案した。1998年頃のことだ。当時、OFDMは地上デジタル放送などで採用されていたが、無線LANではパケットモードの通信でOFDMを実現する必要があった。いくつかの技術的な課題を乗り越え、OFDMは11aに採用された。

 印象に残ったのは、11aの速度についての話だ。無線LANの速度は、有線LAN規格のイーサネットの速度を目標にしている。11bの11Mビット/秒なら当時主流だった10Mイーサネット(10BASE-T)といった具合だ。その点で11aの最大54Mビット/秒は半端に思える。なぜこのような速度なのだろうかと、無線LANの記事を書くたびに不思議に思っていた。守倉教授によると、実は11aでこの速度を実現するのは大きなチャレンジだったという。

 11aの標準化は11bと同時期。11bは無線LANの最初の規格IEEE 802.11の次世代規格として、周囲の関心を集めていた。11bの速度は11Mビット/秒であるのに対し、11aは当初20Mビット/秒を目指していた。だが、11aは無線LANでは初の5GHz帯の規格。既に2.4GHz帯のチップがある11bと違い、11aのチップは一から作る必要があった。つまり価格は高くなるし、製品化も遅くなる。

 守倉教授は「11aが11bのたかだか2倍の速度では製品が出ても売れない。そこでもっと速度を上げようという話になった。36Mビット/秒の案が出たが、もっと上げるべきだという意見が出て、さらに上の54Mビット/秒になった」と当時を語る。これは当時の技術レベルからすると「かなり背伸びをした」という。

 11aは11bより製品化が遅れたうえ、5GHz帯より2.4GHz帯のほうが電波が飛びやすいのであまり目立たなかった。ただし、11aの技術はそのまま11bの次世代規格である11gでも採用され、現在主流の11nでも使われている。また5GHz帯は、2.4GHz帯の混雑を受け、今大きく注目されている。守倉教授は「標準化ではその時点での技術レベルに合わせるか、背伸びをするかの選択が大事で、それを間違うとマーケットから退場させられる恐れがある。11aは製品化を数年待ったため、商業的には目立つ存在ではないが技術的に大きく目立つものとなった」と語る。

 この話を聞いて、現在標準化中の11acのことを考えた。11acは5GHz帯の無線LAN規格で、規格上の最大伝送速度は約7Gビット/秒になる予定だ。この速度を実現するために、11acは11nで採用された高速化技術を大幅に拡張する。例えばマルチアンテナ技術であるMIMO(Multiple Input Multiple Output)は最大8ストリーム、複数のチャネルを束ねるチャネルボンディングは最大160MHz幅(8チャネル分)となる予定。今はかなり背伸びをしているように見える11acも、何年後かにはちょうどよいレベル感になるのかもしれない。