東日本大震災から一年が経過し、ようやく冷静な議論ができるようになったものと期待して、今回は、非常にセンシティブなテーマを取り上げることにしよう。
福島原発事故と自助の心構え
先日、ある会合で同席した企業経営者から、「福島原発事故の際、あなたたち霞が関の官僚の間に、『危険だからすぐに避難するように』との極秘のメールが流れたでしょ」と話を向けられた。
少なくとも筆者の知る限り、そうした事実はない。そもそもこのご時世に、そんなメールを出したことがマスコミに漏れたら、それこそ袋叩きにされてしまう。最近は官僚もだいぶレベルが落ちたが、そこまで馬鹿な奴はいませんよと説明したが、その方は、「いや、絶対に流れたはずだ」と納得してくれない。話を詳しくうかがってみると、当時、知り合いの某官僚が一家そろって姿を消したという。
そこで筆者は、「それは、極秘情報を得たからではないでしょう。原発について知識がある人ならば、誰でも避難のことを考えたのではないですか」と申し上げたうえで、「実は、私も両親を福岡に疎開させました」と付け足した。
絶望的なシナリオ
2011年3月12日、前夜に職場から40km歩いて自宅に帰った筆者は、筋肉痛で痛む足をさすりながら、被災状況を伝えるテレビ画面にひたすら見入っていた。そこに飛び込んできたのが、1号機の建屋が爆発する映像である。「これで東京もおしまいだ」と思わずつぶやいた。
筆者は、危機管理を研究テーマとしている関係で、原発についても一通り勉強している。あの爆発が起きたのは、原子炉の格納容器内の圧力上昇により水蒸気爆発が起きたか、燃料棒のジルコニウムの化学反応で発生した水素が格納容器内で爆発したか、いずれにしても格納容器が大きく破損し、大量の放射性物質が放出されたはずと思い込んだ(ちなみに、格納容器から漏れ出した水素が建屋内に充満して爆発するという今回のパターンは、それまで研究者の間でもまったく想定されていなかった)。
そうなれば、現地での屋外作業はもはや不可能となる。かつてチェルノブイリ事故の時には、ソ連政府が事情を知らない作業員を現地に送り込んで「石棺」をこしらえたが、この日本でそんな非道なことができるわけもない。何も対策を打てなければ、やがて2号機、3号機も爆発するだろうと、頭の中を絶望的なシナリオが駆け巡った。