そろそろ“ビッグデータ”という言葉を使うのをやめようと思っているんです---。ビッグデータの活用で成果を挙げていると言われる、ある企業の経営者との雑談で飛び出した発言だ。

 直接の理由は、「ビッグデータ」という言葉のバズワード化が目に余るようになってきたこと。本来のビッグデータ利用と関係のない問い合わせが増えたことがきっかけだという。

 ただよく話を聞いてみると、自分たちが採っているアプローチが、いわゆるビッグデータとは異なることに確信を深めていると言ったほうが的確なようだ。この企業はこれまで、「取得するデータをできる限り最小化する」という、ビッグデータとは正反対の方法でマーケティング分析を進めてきた。蓄積する期間や対象とする商圏を従来よりも広げたことでビッグデータに取り組んだと見られているが、データ最小化という方針は基本的に変えていない。

 確かに、ベンダー各社が主張する「なんでもデータを取ろう」というビッグデータのアプローチとは相反する。ただ、伝統的なマーケティングの方法論としては、実はこちらの方が正しい。

 マーケティングとは、顧客がモノやサービスなどの商品を購入する理由を探るために、顧客自身やその市場をより深く理解するための活動だ。そのためには、顧客や市場に関する具体的な仮説を持つことが不可欠である。これは、アプローチが定量的であろうと定性的であろうと変わらない。

 ここで仮説と関係のないデータが入っていると、ノイズとなるばかりか、仮説検証を歪める悪因にさえなりかねない。だから伝統的なマーケティングの現場では、いかに仮説のモデリング精度を上げ、取得するデータを絞り込むかが問われる。極論すれば、この仮説の精度を上げるプロセスで成否の半分が決まるとさえいえる。

 この企業では、経営資源の制約から、市場や顧客像を概ね定めている。少なくとも現時点では新規の市場や顧客を相手にしない以上、必要のないデータはむしろ積極的に捨てるべき。データの活用を突き詰めていく中で、改めてそのことに気づいたという。

顧客や市場特性を見極める

 もちろん、この企業のケースだけをもって、「ビッグデータというアプローチがすべて間違っている」と断じるつもりはない。データこそがあらゆる分析の基盤である以上、ビッグデータのアプローチが新たなマーケティング手法を導き出す可能性は大いにある。

 実際、米グーグルや米アマゾンにとっては既に、ビッグデータの取得は死活問題となりつつある。また日本では通信の秘密の制約はあるものの、通信事業者もビッグデータを価値に変えられる潜在能力とポジションを持っている。

 さらに、地理空間情報と行動ターゲティングの融合のように、より大量のデータを実空間でリアルタイムに処理することで、新たな付加価値を生み出せるのではないかという期待もある。そうしたサービスの基盤に、ビッグデータは不可欠だ。

 ビッグデータの要否は、自社の顧客や市場の特性で決まる。前述の経営者が、取得可能なデータをすべて集めようとしていたら、おそらく同社は今頃データに溺れ、顧客や市場を見失っていただろう。あるいは、個人情報に関わるデータ漏洩のリスクにさらされていた可能性もある。こうした点に気づいたからこそ、ビッグデータを喧伝して「大量のデータは正義」という風潮を社内に持ち込むことを避けようとしているのである。

 クラウドコンピューティングの台頭などによりビッグデータ活用のハードルが下がる中、この当然ともいえる検証が、そろそろ必要だろう。そして仮に必要ないとしたら、むしろ「スモールデータ」を目指すべきでもある。