原稿を書く際には下書きをする。大きな紙を広げ、万年筆を持ち、思ったことを書く。手を動かしていると頭が回り出し、原稿の構成が見えてくる。頭の整理を終えてから、ワープロソフトを使って清書する。

 しかし今回は下書きをせずパソコンに向かっている。画面には、1年前の3月16日夕方に書き3月18日に公開した『巨大地震から学ぶ「日本再設計の論点」』の元原稿が表示されている。これを読み直し、1年後に考えたこと感じたことを列挙してみたい。本稿は3月15日の夜書いている。公開予定日は3月19日である。

 1年前の原稿は題名に「巨大地震から学ぶ」とあるように、3月11日を契機に書いたものであった。「読者の皆様が関わっている問題のチェックリストとして眺めてほしい」と書いた通り、地震や原子力発電の問題に限らず、以前から日本が抱えている10の論点を取り上げた。

 それから1年の間、いくつかの論点について雑誌やWebサイトで論文やコラムを書いたほか、Web上のコミュニティーで意見交換をしてみたりした。こうした自分の活動を1年後に振り返るのは意義深いと勝手に考え、今回の一文を書いている。

【自力】技術は一人称で舵取り

 10の論点を読み直したところ、最も執筆意欲を刺激されたのはこれであった。昨日(3月14日)「システムイニシアティブシンポジウム2012 Spring」を開催し情報システムを「一人称で舵取り」する方々の講演を聞いたことも影響している(シンポジウムの関連記事「事業部門との対話を目指す『注文の多い酒宴』」)。

 「一人称で舵取り」とは「私はこうする」と判断できることだ。「技術を使う組織は、自分で技術を舵取りし、一人称で語れなければならない」。シンポジウムに登壇された方々は「こう考えこう実行した」と一人称で語った。

 ある登壇者は開発プロジェクトを率いる際「いわゆる二次請け、孫請けの開発者の方に集まってもらい、プロジェクトの目的を説明した」と語った。「自分が書いているプログラムがどういう価値を持っているかが分かると、色々なところに目が行くようになり品質が良くなっていく」からである。

 シンポジウムのある参加者は「多重下請け問題に対する取り組みを聞けただけで、参加した意義があった」と筆者に連絡してきた。シンポジウムの内容は別途報告したい。

【判断】顧客のために秩序や組織の枠組みを超える

 「一人称で舵取り」といっても好き勝手に船を進めるわけではない。当然目的がある。それは技術の世界に閉じたものではない。企業であれば自社の事業の価値を高めることだ。事業は顧客がいて成立する。事業価値を高めるとは、顧客に貢献し顧客が喜んで対価を支払うようにすることである。

 いかにも分かっているという調子で書いているが、実行は難しい。やり方を変えないほうが楽だ。元請け企業に開発作業を丸投げし、営業担当者を時々いじめるのは簡単である。二次請けや孫請けにまで開発目的を説明するなど面倒極まりない。

【理想】全員が協業するために

 今読み返すとこの表現は分かりにくかった。全員が協業するためには何らかの理想が必要だが、果たしてそれは何か。1年前は次のように書いた。

 「日本の再設計にあたっては、多くの人の協業、とりわけ、世のため人のために秩序や組織の枠組みを超える力を持った技術者が欠かせない。(中略)人々の力を糾合していくには何らかの理想、目的、ゴールが必要である。自分の都合や既存の秩序を超越した目的無しに各論点の議論を深めるのは難しい」。

 企業なら顧客満足が目的になり得る。日本全体となると難しい。原発撤廃も増減税も「人々の力を糾合していく」「理想、目的、ゴール」にはなり得ない。経済成長か安定かという議論も、いまひとつ盛り上がらない。所得倍増で盛り上がったのは遠い過去である。

 そもそも明示的に設定する大目標などあり得ないのかもしれない。そういうものがないといけないと思いつつ、中目標や小目標に取り組んでいくということだろうか。