本連載では時折、危機管理の反面教師となる経営者を題材として取り上げている。直近では2011年12月8日付のどうして不祥事の教訓が伝承されないのかにおいて「教訓を伝承しようとしていない経営者」を取り上げた。今回は2回にわたり、「環境の変化に対処する組織作りを怠る経営者」について論じたい。

当たり前のことを得意げに語る経営者

 筆者は、組織不祥事を研究する関係で、いろいろな経済誌に目を通すようにしているが、最近、「インタビュー記事の質が落ちたな」と寂しく思うことが多い。

 読者としては、ここをもっと突っ込んでほしいと感じる点がことごとくスルーされ、単なる自慢話の提灯記事に終わっているからだ。インタビューである以上、話者の心証を害さないように配慮するのはやむを得ないが、相手の話をありがたく拝聴するだけでは、広告と変わりないではないか。

 先日も、某メガバンクの経営者が、「現場の社員と対話する機会を作り、その声に耳を傾けることが業務改善につながる」と語るインタビュー記事を読んで首をひねった。一般誌ならばともかく、ビジネスパーソンが読む経済誌で、こうした当たり前のことを得意げに語る神経がよく分からない。

 さらにあぜんとしたのは、その現場との対話を踏まえて発案した改善策とやらが、いかにも陳腐な内容だったことだ。「おいおい、その程度のことをこれまでやってなかったのかい」と思わず笑ってしまった。

「最高の総務課長」ではトップは務まらない

 テレビドラマの水戸黄門は、全国津々浦々を漫遊して、庶民を苦しめる悪代官たちを退治する。しかし視点を変えれば、天下の副将軍たる黄門様がわざわざ乗り出さなければ、不正が何一つ摘発されないというのはとんでもない話だ。

 それと同様に、あの程度の業務改善策をわざわざトップが思いつかなければいけない(=それまで誰も問題提起しなかった)組織はまともではない。要するに、ずらりそろった管理職たちがまったく機能していないということだ。

 そもそも巨大企業の経営者が、自ら現場を回って小知恵をひねり出してどうする。その程度の仕事は課長レベルに任せておけばよい。本当にトップがしなければならないのは、「鶴の一声」がなければ陳腐な業務改善さえできないほど硬直した組織体質を改革することであるはずだ。

 ところが、このチェンジリーダーとしての役割を自覚していない経営者が多すぎる。それこそが日本経済を漂流させている原因ではないかと筆者は感じている。

 ただし、そうした経営者たちも決して馬鹿者というわけではない。筆者の個人的な経験では、大組織のトップに立つほどの人物は、いずれも教養に溢れ、思慮深く誠実な人柄で、非常にバランスが取れている。総務課長のポストに座らせたらピカイチだろう。

 しかし、総務課長として最高の人物が、必ずしもトップにふさわしいわけではない。むしろその反対である。「部下として有能な人物」と「トップとして部下を率いる人物」では、求められる資質が異なるということだ。

 結論から申し上げると、変化への対応を迫られる時代には、バランスの取れた調整型の人物ではトップは務まらない。独善的に思えるほどの信念に溢れ、そのためには敵を作ることも厭わないほどの強靭な意志力を持つ人物が必要だ。日本マクドナルド会長兼社長兼CEO(最高経営責任者)の原田泳幸氏、日本電産社長の永守重信氏、楽天会長兼社長の三木谷浩史氏などがその代表例である。

リスクを取れる強いリーダーが必要

 もともと日本は気候が温暖で、一所懸命に農事に励んでいれば、誰でもそれなりに生活することが可能だった。また、島国であるために外敵の侵入もほとんど経験していない。こうした低リスク社会では、強いリーダーは必要とされず、集団の和を尊重する調整型の人物が上に立つことが通例だった。

 しかし、その前提が大きく揺らいだとき、例えば気候変動のため食料不足に陥った戦国時代や、欧米諸国による植民地化の危機に直面した幕末維新の頃には、日本にも強いリーダーが輩出された。グローバル競争の渦に巻き込まれた現代も、まさに強いリーダーが求められていると言えよう。

 ところが多くの企業では、組織の慣性に基づき、依然として調整型リーダーを選抜し続けている。その背景には、たとえ経営状態が思わしくなくても、これまでの蓄積で当分はやっていけるため、なかなか社内の危機感が高まらないという事情がある。

 こうした調整型のリーダーは、世論や株式市場の動向にやたらと敏感である。「総務課長」は誰かにお仕えするのは得意だが、自分では物事を決められない。そこで、世論や株式市場に追随することにより、トップとしての孤独や重圧から逃れようとするのだ。

 しかし世論というものが、いかにあやふやで振幅の激しいものかあえて語るまでもない。株式市場は、短期的には人気投票にすぎず、長期的にも企業業績を後追いするだけだ。いずれも将来を見通す先見の明とは無縁であり、そんなものを経営のよりどころにしてどうするのか。今の時代に必要なのは、周囲の評価に振り回されることではなく、自らの価値を作り出すことである。

 「オレの経営方針に納得できない株主は、保有株を売却するか、総会で俺のクビを斬ればよい。だけど、このオレ以上に企業価値を高められる人物が他にいるかな?」とうそぶく、アクの強い経営者が現われてほしいものだ。(次回に続く)