東日本大震災の発生(2011年3月11日)から丸一年が経過した。震災発生直後、記者は日経BP社がある都内(港区)におり、いわゆる「帰宅難民」状態に陥っていた。今ならそのまま会社で待機するという行動を取ると思われるが、当時の自分の頭にはそういう選択肢はなく、「とにかく早く帰らねば」と、自宅が同じ方向にある先輩記者と一緒に7~8時間くらいかけて徒歩で帰宅するという道を選んだ。

 その顛末については、私ことITpro記者の斉藤栄太郎と、日経エコロジーの記者である半沢智がそれぞれリポートとして既に記事にしている(関連記事:「意外な脆さ」を露呈した携帯電話サービス恵比寿、新宿、渋谷・・・震災の夜の大都会を歩いた)。

 当日の行動は、まだまるで昨日のことのようにハッキリ覚えているし、実際にこれまで経過した時間も、長いようでまだ1年間しか経っていないともいえる。だが、動きの速いIT分野では、そのわずか1年ほどの間に、震災に関連するトピックだけでも実に様々な変化が起こっている。

 そこで今回は、震災1年後というこのタイミングを機に、記者二人で「大震災とIT」をテーマに対談した。当時の状況を振り返りつつ、その後の約1年間で起こった変化や考えてきたことを踏まえながら、反省点や課題を挙げたり、これからの対策などについて考えてみたりした。

「日頃からITリソースを準備しておくこと」が重要

斉藤 まずは大地震発生直後の行動から振り返ってみましょうか。揺れが収まった後、何をしていましたか。当然、まずは家族の安否確認のために電話などをしましたよね?

半沢 そうだね。携帯電話が全然つながらなかったから、会社の固定電話を使って電話をかけたよ。つながりにくかったけど、あきらめずに発信していたら何とかつながった。固定電話同士ということもあったんだろうけどね。

斉藤 私の場合は、あの時間帯には自宅に誰もおらず、携帯電話にかけないといけなかった。一向につながる気配がなかったので、割とすぐにあきらめて震災発生を伝えるニュース記事を書いていました。ただ、もう少し粘って連絡を取っておけばよかったな、という反省はあります。

半沢 会社を出た後、「家族とまだ連絡が取れない」って夜遅くまでずっと心配していたよね。

斉藤 そもそも、妻が基本的に携帯電話と携帯メールしか使えない状態であることを認識していながら、そのままにしていた点も大いに反省しています。SNSをはじめITを活用した様々なコミュニケーション手段があって、自分は便利に使っていたにも関わらず、家族には全然教えていませんでした。

半沢 様々なITリソースを日頃から準備しておいて、いざというときにすぐに使えるようにしておくことや、状況に応じて使い分けられるようにすることはとても大事だということだね。

斉藤 二人で一緒に帰ることを決めるまでのプロセスなんて、まさにそれですよ。あのとき「Googleトーク」のインスタントメッセンジャー機能で連絡を取り合ったじゃないですか。あの状況下でお互いフロアが別ですから、Googleトークのプレゼンス(在席確認)機能がなかったら、先輩が取材に出ているのか社内にいるのかも分からず、おそらく声をかけなかったと思います。普段はたまにしか使わないけど、非常に役に立ちました。

便利なモバイル機器も「電源なければタダの箱」

斉藤 会社を出てからの話に移りましょうか。会社から「帰宅可能な従業員は帰宅することを認める」という指示が出てから準備を始めて、確か17時半ころでしたか、1階の出入り口で待ち合わせをして出発したわけですけど、あの時点で私は一つ大きな失敗をしでかしていました。いや二つかな。

半沢 携帯電話のバッテリーの話?

斉藤 そうです。会社で記事を書きながら、でもやはり震災のニュースが気になるから携帯電話のワンセグ機能で見ていたんです。そのせいでバッテリーが半分以上減っていて、それなのにちゃんと充電していなかったのです。

半沢 出発してからすぐに「電池が切れそう」って騒いでいたよね。