すでに先月のことになるが、シスコシステムズの平井康文社長の講演を聞く機会があった。2月23日に開かれた日本経営品質賞報告会におけるもので、同社のエンタープライズ&パブリックセクターが、2011年度の「日本経営品質賞大規模部門」を受賞した記念講演である。日本経営品質賞とは、日本生産性本部が創設した表彰制度で、「経営革新を進めるモデルとしてふさわしいと認められた組織」に対して授与される。

 平井社長は講演で、シスコシステムズのコーポレートカルチャーとそれを支えるプロセスおよびテクノロジーを紹介した。

 その事例として、1年前に起きた東日本大震災に関連した話が取り上げられた。震災当時、シスコでは「(原発事故などで)家族が不安を感じている社員には、東北地区だけでなく全国規模で、実家がある九州や四国、外国人社員であれば海外への一時避難を認め、その費用は会社が負担した」(平井社長)。

 コストがいくらかかるか分からない状態での決断だったが、「素晴らしいサービス、価値をお客様に提供するには、まず社員、そして社員の家族を最優先に考えて、このプログラムを発表した」(同)。結果として、社員とその家族合わせて数百人がこのプログラムを利用して実家や海外に一時避難したという。

 このときシスコでは、震災直後から2週間にわたってオフィスを閉め、一時避難した社員を含めて全員を自宅待機とした。ただし、社員には在宅勤務のためにIPフォンやVPNルーターを貸し出したため、何の問題もなく事業を継続できたという。「震災後、多くのお客様から保守用部品のオーダーや問い合わせを電話で受け付けたが、大半のお客様はそれが自動的にルーティングされて、社員が自宅で対応していたことをご存知なかったと思う」(平井社長)。

ポストM&Aでは組織統合に時間をかける

 講演では、2010年春にシスコが買収したビデオ会議システム大手、タンバーグの話も取り上げられた(関連記事:Cisco、テレビ会議システムのTANDBERGを約33億ドルで買収)。平井社長によると、M&A(合併・買収)におけるシスコの特徴は「事業ラインはできるだけ早く統合するが、組織の統合には非常に時間をかける」ことにある。タンバーグの場合、日本法人の社員をシスコに転入させたのは2010年10月だが、それから1年をかけてお互いよく知り合った上で、2011年11月にタンバーグ日本法人をシスコの事業部門とした。その際、タンバーグ日本法人の社長は、そのまま事業部門のトップに就任してもらったという。

 企業買収で時間を買う。今となっては当たり前の経営戦略だが、シスコは1984年の創業以来、過去26年間に約140社ものM&Aを繰り返すことで事業を拡大し、ICT分野のトップ企業の地位を築き上げてきた。スピードが要求されるインターネットの世界では、独自技術へのこだわりよりも、優れた技術を“目利き”して、いち早く提供することが、顧客満足度の向上に結び付くからである。

 記者も2005年ごろ、シスコのセキュリティ分野の解説資料を調べたことがある。そこでは、シスコが独自技術にこだわることなく、先進的な製品・サービスを提供するベンチャー企業を数多く買収して、急速に同分野の製品系列を充実させていることが、誇らしげに紹介してあった。パソコンに残った当時のデータを確認すると、資料にはセキュリティ分野の被買収企業として米Psionic Software、米Okena、米Twingo Systems、米Riverhead Networks、米Protego Networksが列記されている。「(よそから持ってきた技術よりも)独自開発した技術が偉い」と漠然と思い込んでいた記者は、新鮮な印象を受けた記憶がある。

 このあたりの事情は、日経ビジネス2008年3月17日号「シスコシステムズ 変化飲み込む革新力」という記事でも詳しく紹介されている。記事によると、シスコはベンチャー企業のM&Aに際して、製品・技術とともに人材を取り込むことに注力しており、被買収企業の社員がシスコに定着する比率は約9割、なおかつシスコ幹部の約4割は被買収企業の社員が占めているという。記事には「『ハイテク分野の企業買収は大半が失敗に終わる』と言われる中で、シスコは約7割の買収を成功させている」とある。

 平井社長が言う「(M&Aで)事業ラインはできるだけ早く統合するが、組織の統合には非常に時間をかける」は、M&Aで企業価値を高めてきたシスコのカルチャーと、それを支えるプロセスの典型例と言える。

 平井社長は講演の最後を、シスコ大阪オフィス営業担当者の「コーポレートカルチャーは社員が守る・順守すべきものではなく、逆に社員を守ってくれるもの」という言葉を引用して「私もそうありたいと思っている」と締めくくった。

 きれいごとに過ぎる、と思う方もいらっしゃるかも知れない。だが、「守ってくれる」と社員に思わせるカルチャーを持つことは、様々なバックグラウンドを持つ社員に一体感を持たせる上で、大きな役割を果たす。その意味で、M&Aで事業を拡大してきたシスコにとって、同社のコーポレートカルチャーは、単なる「きれいごと」ではない、必然性を持つものなのだろう。