今回は、ITpro編集部井上健太郎氏の記事「想定外」が無くならない真の原因に触発され、「想定外」に関する私見を述べることとしよう。

 東日本大震災をめぐる様々な記事を読むと、井上氏が指摘するとおり、「想定外」という用語の意味として、「そのようなリスクを予想できなかった」と「予想はしていたが、対策を実施すべき問題とは認識しなかった」の2種類が混用されている。しかし、経営責任の面から考えると、両者は明らかに異質である。

 前者の場合には、そもそもリスクの存在を認識できなかったのだから、対策を実施しないのも当然だ。経営者が特に不勉強だったなどの事情が無い限り、その責任を追及するのは酷であろう。しかし後者の場合には、リスクが予想されたにもかかわらず、「対策を実施しない」と判断したことになるので、それに対して経営責任が発生する。

 このように性質が異なる意味を1つの用語で表示することは、経営責任の曖昧化につながりかねない。前者を「予想外」、後者を「想定外」と厳密に使い分ける必要がある。ちなみに筆者の観測では、「予想外」のケースは非常に少なく、その大半は「想定外」、つまり経営責任を問われるべき事案である。

「不勉強ゆえの予想外」と「想定外」には経営責任

 例えば、東日本大震災の関係では、「部品メーカーの被災によりサプライチェーンが寸断されるとは想像がつかなかった」との弁解が盛んになされた。しかし、2007年の新潟県中越沖地震において、リケンの柏崎工場が被災してピストンリングの供給が途絶し、国内の乗用車メーカー全社が生産を停止したことは記憶に新しい。

 従って、サプライチェーンの脆弱性は十分に予想可能だった。それにもかかわらず、発注先の分散や在庫の積み増しなどの対策には相当なコストがかかるために、そのリスクを「想定外」にしていただけのことだ。それでもあえて経営者が「予想外」と強弁するのであれば、その不勉強に対する経営責任を負うべきだろう。

 また、2007年から深刻化したサブプライム問題も「予想外」とは言いがたい。いわゆる「サブプライム証券」は、低所得層向けの住宅ローン債権でも、それらをひとまとめにして証券化すればリスクを分散できるという触れ込みだった。しかし、そのリスク評価は「低所得層のデフォルト(返済不能)確率分布は相互に独立である」という非現実的な前提条件に基づいている。

 単純労働の働き手は景気が悪化すると真っ先にレイオフされ、支払い不能に陥る。つまり、低所得層のデフォルト率は、マクロ経済指標に連動するということだ。さらに担保に設定していた不動産も、不景気になれば市場価格が下落して担保価値が毀損される。金融のプロがこうしたデリバティブの構造を知らないはずがなく、「予想外」だったとは言わせない。

 サブプライム証券のハイリスクを承知の上で、ハイリターンに釣られて投資したのであれば、まさに自業自得である。また、もしもデリバティブの構造を理解していなかったとすれば、そんなブラックボックスに大金を投じるなど無責任きわまりない。いずれにせよ、こうした経営責任を明確にせずに金融機関を救済したことは、今後さらなるモラルハザードを誘発することになるだろう。