本稿の題名は「愛国心は悪党の最後の隠れ家」という警句のもじりである。愛国心が大事だと声高に訴える人やその発言には注意すべきだ。これが警句の意味であって愛国心を否定しているわけではない。

 「人材育成と事例研究は悪党の隠れ家」の意味はお分かりだろう。「人材を育てなければならない」あるいは「事例を研究しよう」という主張には注意したほうがよい。もちろん人材育成や事例研究を否定しているわけではない。

 本稿はITproに掲載されるのでITの例を挙げる。新しい技術や製品が登場する。それを使って新しい取り組みをしようという話になる。その時「新技術を扱える人材を育てることが重要だ」といった意見が出る。

 もっともな意見であるが「2013年までに1000人を育成」と計画を立てたり研修プログラムを考えているうちに時間が経ってしまう。新しいことはなかなか始まらない。

 そう書いている筆者は悪党の一派である。新しい動きを取材する際「普及のカギは人だと思うが手当はできているか」と質問していたからだ。

 事例研究について同じことが言える。IT関連の研究会は数多い。そうした団体は何事かを成し遂げた人を講師に迎えて講演会を開く。だれかが何かを達成した話を聞くのは楽しい。研究会メンバーは「今日はいい話を聞いた」と満足して帰る。だが新しいことはなかなか始まらない。

 セミナー企画者でもある筆者はやはり悪党の一派である。「××」という新しい動きが出てくると「××時代の到来」といった題名のセミナーを開催し「××」にいち早く取り組んだ人を招いて事例を話してもらう。来場者にアンケートをとると「××の事例を聞けて有用だった」と好評である。だが新しい「××」はなかなか始まらない。

もう一つの隠れ家は「実証実験」

 人材育成そして事例研究と四文字を並べているうちにもう一つ思い付いた。「実証実験」もまた悪党の隠れ家である。実験と書くと実用から遠い印象を与えるが実証を付けると実用を前提にした取り組みのような気がしてくる。

 産官学連携や異業種連携でイノベーションを起こそうという話が持ち上がる。有名企業に新進気鋭の企業さらに主要官庁有名大学が集まりコンソーシアムを結成し計画を発表する。発表資料には必ずといってよいほど実証実験が盛り込まれている。予算をしっかり消化して分厚い報告書を書き上げる。だが新しいことはなかなか始まらない。

 念のために繰り返すが人材育成や事例研究や実証実験に真面目に取り組んでいる指導者や研究会やコンソーシアムを否定するつもりは毛頭ない。ただし人材育成や事例研究や実証実験は行動しない人行動したくない人の隠れ家になる危険があると申し上げたい。

 何かに取り組むには適任者がいようがいまいがやらなければならない。研究できる先例があろうがなかろうが踏み切らないといけない。実験を納得いくまで繰り返す時間があろうがあるまいがどこかで強行せざるをえない。

 表現がくどくなって恐縮だが目をつぶりリスクを無視して突撃せよと主張しているわけではない。許された時間を使い、適任者を探し、同一ではないが近い事例を見つけて研究し、できる限りのフィージビリティスタディをしてから実践する。

 これは難しいことであるし実践に踏み切る決断はなかなかできない。悩んでいるところに人材育成や事例研究や実証実験の誘いがあるとそちらになびいて決断を先送りしかねない。