東日本大震災が発生して以来、「想定外」という言葉は、まるで2011年を象徴するキーワードのようになってしまった。筆者自身、この「想定外」をタイトルに使った記事を既に1度書いた。

 けれどもこの言葉は、何か悪い事態を引き起こして誰かに迷惑をかけた当事者が釈明に使う言葉としてはちょっと微妙だ。「想定外」という表現が釈明としてスムーズに周囲を納得させられるのは「事前に被害状況の断片すら想像できなかった」ことを話し手と聞き手で共有できているケースだけなのではないだろうか。

 例えば、需要を読み違えて大量の在庫を抱えた新商品の仕入れ担当者がいたとしよう。その担当者が上司に向かって「この売れ行きは想定外でした」と釈明したら、上司は「そうか、しょうがないな」と原因追究をやめるだろうか。何らかの判断ミスではないかと勘繰られて、さらに突っ込みが入る可能性が高いような気がする。

 ひょっとするとその担当者は上司からこんな質問を受けることになるかもしれない。「正確に言うとその売れ行きは、『調査・情報収集不足』で想像もできなかったという意味なのだろうか。あるいは想像はしたけれども『発生確率を読み違えた』のか。『発生しても何とかなると見なして油断していた』のだろうか」――。

 本稿では、BCP(事業継続計画)の周囲で飛び交う「想定外」がなかなか無くならない真の阻害要因は「想像力や情報収集力の弱さ」ではなく、「想像を被害想定に取り入れる意思決定プロセス」にあるという主張を述べる。

「想定外」の釈明は判断ミスと解釈するのがむしろ当たり前

 「想定外」とは逆の言葉が2005年に流行したことがあった。当時ライブドア代表取締役社長だった堀江貴文氏が使った「想定の範囲内」という言葉だ。この言葉には「想像力・情報収集力が豊か」というだけでなく、「想像したうえで、既に対策を検討してある」というニュアンスがあった。堀江氏とて、単に自分が想像力・情報収集力が豊かというのみならず「この事態に対する策は検討済み」という意味で使っていたはずである。

 これを逆に考えると、「想定外」にはもともと、「想像もできなかった/事前調査では可能性が想起できなかった」という意味と、「想像したけれども、対策を講じようとしなかった」という2つの意味がある、と考察するのはごく自然なことだろう。

 実際、福島第1原子力発電所の事故の引き金となった大規模な津波についても、2011年8月下旬に、「東京電力は2008年に大地震発生時の津波遡上高を15メートル超と試算していた」と新聞各紙が報じた。これは、東京電力が明治三陸沖地震を前提に「福島第1原子力発電所に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルになる可能性を2008年に社内で試算していた」とするものだった。しかも経済産業省原子力安全・保安院に事故直前の2011年3月7日に説明をしていたとも伝えられている。

 つまり大規模な津波は「いったん想像はされた」ものの「対策を検討するうえで被害想定には取り入れられなかった」ことになる。事故発生直後の「想定外」という釈明に、ピンと来ていなかった人の多くが、この報道に接して「やっぱり」と思ったのではないだろうか。とはいえ、この場で原発事故についてさらに考察することは、危機管理論を連載中の警察大学校 樋口晴彦教授から「進行中の出来事について外野が想像をたくましくして騒ぐことは、当事者の活動や原因究明の邪魔になるだけだ」と忠告をいただいたのでここでは控えたい。