「普段の仕事の中でよかれと思ってやっている“やる気向上策”の中には、かえってやる気を失わせるかもしれないことがあるのだな」。日経SYSTEMS 9月号の特集記事「IT現場のやる気を高める」を担当して、このことに気付かされた。

 この特集記事では、読者モニターとともにやる気の実体を探る誌上ワークショップ、自分のやる気とチーム全体のやる気を高める工夫、2年連続大学日本一の実績をもつ帝京大学ラグビー部のやる気向上の取り組みを紹介している。

 やる気の仕組みを探るために行った、心理学や脳科学の専門家への取材を通して、やる気を高めるつもりが逆効果になってしまう例をたくさん聞いた。ここではそのいくつかを紹介したい。みなさんの職場でこれらが行われていないか、振り返りながら読んでもらえればと思う。

競争意識をあおるだけではいけない

 担当作業の進捗度合い、仕様書や設計書の作成分量――。メンバー一人ひとりについて、こういった数値をメンバー間で共有しているプロジェクトは少なくないのではないか。仕事の達成状況を見える化すると、メンバーそれぞれに競争意識が芽生える。それによってメンバーのやる気を高めることが期待できる。

 しかし、やる気を高める手段が「競争意識をあおること」だけに限られているとしたら後で問題が生じるかもしれない。競争によって勝者になったメンバーのやる気は高まるが、敗者となるそれ以外のメンバーのやる気は下がってしまう可能性が高いからだ。

 心理学が専門の早稲田大学の青柳肇氏(人間科学学術院 教授)は、「自分は周りに負けてばっかりだと思ったり、自分に能力がないんだと思ったりしてしまうと、普通に働いていてもやる気は出なくなる」と指摘する。

 もし、こういう場面で「他人はどうあれ、自分にはスキルがある。まだ成長できる」と信じられる人は立ち直れるが、「自分にスキルはなく、伸びることもない」と思い込んでいたら深みにはまると青柳氏は話す。自分のスキルに対して自信を失いかけたとき、青柳氏の話を思い出してほしい。

「ほめる、叱る」だけに頼ってはいけない

 プロジェクトの中で、上司が部下のやる気を高める策としてすぐに思い浮かぶのは、部下の取り組みについてほめたり、叱ったりすることだろう。見える化のような仕組みをあえて作ることなく、手軽に実践できるからだ。

 部下も「ほめられたいから仕事をこなそう」「叱られたくないからきちっと仕事をしよう」という気持ちになり、仕事へのやる気が高まる。

 ただし、ほめる叱るだけで、部下のやる気を高めようと思ってはいけない。社会心理学が専門の東京女子医科大学、諏訪茂樹氏(看護学部 人文社会科学系 准教授)は「ほめる叱るで得たやる気には限界がある」と指摘する。どういうことかというと、「ほめられた」「叱られずに済んだ」とメンバーが思うと、やる気を出す目的が満たされるので、それ以上やる気は出なくなるのだ。

 ほめる叱るだけでなく、メンバーにこれから担当する仕事の意義や価値を考えてもらい、本人に実感してもらうことが大切である。メンバー本人が実感して得たやる気は、ほめる叱るを通してのやる気よりずっと長続きする。「ほめる叱るはそれをした後だ」と諏訪氏は指摘する。

疲れているのに仕事を続けてはいけない

 最後に、脳の働きとやる気の関係について紹介したい。

 仕様書の作成を1日中続けて夜更けになった。疲れているものの、できるところまで進めようと、仕事を続けてしまう――。こういったことはITエンジニアの身によくあることだろう。確かに仕事がはかどればすっきりするので、無理をしがちになる。

 この行動に対して、「疲れているのに仕事を続けてはいけない」と脳科学の専門家は注意を促す。疲れによってやる気がなくなることが、脳の研究から明らかになっている。夜更けまで仕事を続け、脳が疲れてくると、不安や自信のなさといったマイナスの感情を持ちやすくなる。このマイナス感情がやる気の阻害要因になるからだ。

 特集記事では、このような場合、仕事を切り上げることが、やる気を維持するためには大切だと触れた。とはいえ、こういうときに限って、トラブルの原因究明や解決策の検討といった、一筋縄ではいかない仕事に取り組んでいることは多い。そういう仕事でも、「切り上げて大丈夫なのか」と疑問を持つ読者もいるかもしれない。

 だが、その心配は無用だ。脳科学の専門家である、河野臨床医学研究所付属北品川病院の築山節氏(院長)は、仕事を切り上げるとき、積み残した課題や明日取り組む事柄を三つ程度メモなどに書き出すことを勧める。睡眠中の脳の働きを利用して問題解決を図るためだ。

 脳は睡眠中、その日に得られた情報を整理している。睡眠前に課題を書き出しておくと、その書き出された内容に沿って脳内で情報の整理が睡眠中に行われるのだ。そのため翌日、課題の解決策に関してひらめきを得やすくなる。

 ITエンジニアが問題解決を求められることは多い。もしその日のうちに解決する必要がないときは、積極的にこの脳の働きを活用したい。