2000年9月11日の夕方、愛知県警察本部の災害担当部長であった筆者は、執務室の窓から土砂降りの雨を眺めていた。県警の定期異動を2日後に控え、ほとんどの職員は仕事を定時で終え、送別会に出席するために繁華街に繰り出していた。

 こういうときには、東京からの出向者である私などは、地元の方々の邪魔にならないように、さっさと自宅に引き上げるのが礼儀というものである。しかし、この日の私はあいにく夏風邪をひいていて、体温が38度もあった。豪雨の中を帰宅してずぶ濡れになれば、風邪がひどくなるのは目に見えている。いくら何でも、これほど激しい雨がそんなに長く続くはずはあるまいと考えて、しばらく待ってみることにした。

 ところが、そのまま1時間経過しても、雨は小降りになるどころか、まるで滝のように降り続いている。「いったいどうなっているんだ!?」とようやく異変に気づいたところに、万一に備えて待機していた災害対策係が「がけ崩れが発生しました!!」と駆け込んできた。これが東海大水害の幕開けだった。

 まことに恥ずかしい話だが、当初はあれほどの大災害になるという認識は全くなかった。天気予報は「雨が強く降ります」という程度だったし、そもそも日本有数の大都会である名古屋で洪水が発生するなど思いもしなかった。報告を受けているうちに被害がどんどん拡大し、なし崩し的に災害対策に突入したというのが実際である。

 今から考えると、定期異動の2日前というのは非常にラッキーだった。名古屋市街で送別会に出席していた警察職員が、県警本部に続々と駆けつけてくれたのだ。もしも普段の日であったら、ほとんどの職員は既に帰宅していたはずである。いざ県警本部に参集しようとしても、豪雨で鉄道は停止し、道路は洪水により寸断されているので、身動きが取れなかったことだろう。

ミス増加を防ぐことも指揮官の仕事

 災害対策責任者として果敢に陣頭指揮を振るう武勇伝を披露したいところだが、発熱がさらにひどくなって、災害警備本部の椅子に座っているだけで精いっぱいだった。実際のところも、私が決断しなければいけない話は何もなかった。

 当時の状況でやれることはただ1つ、警察官をかき集めて臨時の救助部隊をどんどん編成し、がけ崩れなどの現場に派遣するだけである。そうなると、現場の地理や交通状況に疎い私ごときに出る幕などない。何も指示せずとも優秀なスタッフが着実に対策を進めてくれた。

 この災害対策で私がイニシアティブを取ったのは、たった1件だけだった。それは、食事の手配である。現場の救助部隊には「何とかして隊員にメシを食わせてくれ」と指示するとともに、災害警備本部の要員向けにも、別室にご飯と味噌汁、たくあん漬けを用意させた。

 私は、自分が人情味溢れる上司だったと自慢したいわけではない。食事もせずに作業を続けても能率はどんどん落ちる一方で、ケアレスミスや判断ミスも増えることを、過去の教訓から学んでいただけだ。要するに、部下にもっと働いてもらうために食事の手配をしたのである。

 読者の皆さんは、「そんなことをわざわざ幹部が指示しないといけないのか」と疑問に思うかもしれない。しかし、こうした急場になると、日本人の気質として、「みんな懸命に頑張っているときに、食事のことを言い出したら白い目で見られる」という意識に陥りがちだ。実際にも、災害警備本部にせっかく食事を用意したのに、たがいに遠慮して食べようとしないので、1人ずつ指名して、「今すぐメシを喰ってこい」と命じなければいけなかった。

 この一件のように誰もが口に出すのをためらう案件こそ、指揮官が率先して扱わないといけない。「幹部は大所高所の話をすべきである」と教科書的な発想をお持ちの方は、メシの計算をせずに部隊を南方の島々に送り込み、その揚げ句に何十万という兵士を餓死させた帝国陸軍のエリート参謀を思い出してみるとよいだろう。