「今度SI(システムインテグレーション)の責任者になった冨永という男に一度会ってもらえませんか。私が言うのも何ですが大変な人物ですので」。
「取材ですか」。
「いや、取材はやはりちょっと・・・。夜、会食をセットします」。
「・・・。少し考えます」。
これは何のやり取りかと言うと、日本IBMの広報責任者と筆者の間に交わされたものである。時期は1991年か92年だったから、もう20年近くも前のことになる。
「冨永」とは、冨永章氏を指す。冨永氏はSE(システムズエンジニア)出身でありながら日本IBMの専務まで務め、“ミスターPM(プロジェクトマネジメントあるいはプロジェクトマネジャ)”と呼ばれた。日本IBMの社長・会長を歴任した北城恪太郎氏が「社長時代の功績は冨永を役員にしたこと」と振り返るほどの人物である。
1991年、冨永氏はSI推進本部長に就任し、日本IBMのSI事業、すなわちユーザー企業のアプリケーションソフトを受託開発する事業の責任者となった。その少し前から日本IBMはSI事業に乗り出したものの、いくつかの大型案件で失敗、事業全体の立て直しを冨永氏に託した恰好だった。
大型案件の失敗記事を書いていた筆者に対し、広報責任者は冨永氏を引き合わせ、「日本IBMのSIは変わります」とアピールしようと考えたらしい。もっとも筆者が「責任者を替えたからといって、うまくいくものでもない」と絡んだところ、広報責任者は「いえ、記事がどうこうではなく、とにかく会って下さい。本当に凄いSEですから」と言った。
熱心に誘いつつ、「取材はやはりちょっと・・・」と広報責任者が逡巡したのには理由があった。当時、筆者は日経ウォッチャーIBM版というニューズレターの記者をしていたが、諸般の事情により日本IBMはウォッチャーの取材を一切受けつけなかった。
「少し考えます」と答え、知り合いの日本IBM社員に聞いてみることにした。まず、金融機関を担当する営業本部の営業に電話をかけた。冨永氏は、大手都市銀行の第3次オンラインをはじめ、銀行のバンキングシステム開発を手掛けてきた。電話に出た営業は嬉しそうに言った。
「冨永さんと飲む?それは絶対受けるべきです。ただ、寝袋を持っていったほうがいいなあ」。
不穏な発言である。どういう意味かと問うと、その営業は笑い、「物は試し」「百聞は一見にしかず」などと、さらに分からないことを言う。
営業は本音を言わないから駄目だ、真面目なSEに聞こうと考え直し、これまた知り合いのSEに電話をした。
「うーん。トミナガゴを理解していないと難しいかもしれません」。
また分からないことを言われた。聞き返すと「冨永語」であった。なんでも冨永氏は、ソフトウエアエンジニアリングやプロジェクトマネジメントの用語に非常にうるさく、間違った用語を使うと、厳しい指導を始めてしまい、会議が長引くらしい。
「冨永語をきちんと話せないと、レビューすらなかなかしてもらえないのです」。
一体どんな人物なのか。とても気になったが、結局、広報には連絡せず、そのままにしてしまった。