この長い不況においても、4期連続の増収増益を達成するITサービス会社がある。従業員約1000人、年商280億円の中堅ITサービス会社、セゾン情報システムズだ()。多くのITサービス会社が低迷状況にある中で、同社が快進撃を続けている理由はどこにあるのか。宮野隆社長は「ストック型ビジネスにある」と話すが、実は宮野社長が取り組んだ意識改革に秘密が隠されている。

表1●セゾン情報システムズの業績推移(単位:億円)
 2004年度2005年度2006年度2007年度2008年度2009年度2010年度
見込み
売上高263.51232.02229.97235.59249.96261.27280
営業利益27.5224.1926.7424.9925.7124.8926.5

 同社は1970年にセゾングループ(当時は西武流通グループ)の情報システム会社として設立された。グループには西武百貨店や西友、西武クレジット(現クレディセゾン)、パルコなどがあり、セゾン情報は安定した顧客基盤を持っていた。

 だが、西武百貨店などいくつかの企業がその後、グループから離れてしまった。結果、例えば流通業向け売り上げは約100億円から約50億円に減ったという。「ユーザー系ITサービス会社にはコスト意識がない。求められてもいなかった」(宮野社長)こともあり、セゾン情報の業績は伸び悩み始めた。

しがらみのない宮野社長が人事、組織を大改造

 そうした中で、親会社にあたるクレディセゾンの林野宏社長がCSK副社長を務めた宮野氏にセゾン情報の社長就任を要請したという。2004年10月に社長に就いた宮野氏は「林野社長の後ろ盾があったし、しがらみもなかった」ので、思い切った改革に乗り出した。そのいくつかを紹介する。

 まず手をつけたのは人事、組織である。40歳前後の社員12人を選抜し、半年間にわたりマネジメント理論などの教育とOJTを行い、9人を部長に抜擢した。さらに営業体制を刷新した。クレジット、流通、給与計算、データ連携ソフトHULFTの4つの事業部門に配置していた営業を、新設した営業本部に移管・統合した。事業部門にまたがるクロスセールスを展開するためだ。「ユーザーは全社資産なので、事業部門が相互に紹介するよう1つの営業組織にした」(宮野社長)。作る側、売る側それぞれにコスト意識を持たせる狙いもある。

 こうした事業改革に社員から反発が上がり、「黒船の来襲」と宮野社長は言われたという。

 最も抵抗したというHULFTの部門に、宮野社長は売り上げを36億円から50億円にするよう指示した。HULFT部門は「無理だ。40億円ならできる」としたが、宮野社長は「売れていると思っているようだが、売っているのではない」と迫り、「発想を変えろ」と従来の延長線で考えることを改めるよう求めた。販売代理店制度も変更し、主要代理店10社に商品戦略や販売戦略を説明した。「当社はこんなことをするので、御社にはこれだけ売ってほしい」(宮野社長)という販売要望書を販売代理店に渡した。