白物家電の中で最も火災事故が多いのは何か、読者の皆さんはご存じだろうか。正解は「ルームエアコン」だという。筆者はその話を日立アプライアンス(日立AP)の巻島文夫品質保証センタ長から聞いた。巻島センタ長の仕事は役職名が示す通り、日立APが製造・販売しているエアコンや冷蔵庫、洗濯乾燥機といった白物家電の品質管理やリスクアセスメントである。

 エアコンは部屋に設置する本体(室内機)とは別に、屋外に設置する室外機がセットになっている。この室外機が火元になるケースが多い。というのも室外機は建物と建物の間の狭い路地などに置かれることが多く、放火の標的にされたり、火がついたままのたばこを投げ捨てられて燃え移ったりするからだ。

 それだけに日立APの巻島センタ長は、エアコンが品質不良で発火したという濡れ衣を着せられることがないよう、厳重に安全を期した設計をしなければならないと、開発・設計者に徹底している。

壮絶な「死に様」に我を忘れた

 安全な設計の必要性を設計者に分からせるために、巻島センタ長が実施するのが「死に様試験」だ。発火の恐れがある白物家電の部品に火をつけて、実際に燃やしてしまうのである。

 自社商品が燃える様子(死に様)に設計者たちを立ち会わせて、熱や煙、臭いなどを実際に体験してもらい、白物家電の延焼防止構造の開発・設計の大切さを身に染みて感じてもらう。このために日立APはわざわざ栃木事業所内に「最悪状態確認試験室」という防火設備を整えた専用ルームを用意している。

 巻島センタ長はこの試験の狙いを「社員を火事場に連れて行くことだ」と語る。

 筆者も、この死に様試験を間近で見せてもらった。エアコンのプラスチックが焦げる強烈なにおいが鼻に残り、今でも生々しく記憶に刻まれている。その様子は2010年9月29日に発行する日経情報ストラテジー2010年11月号特集「当事者意識を高める体感経営」で詳しく紹介したが、実は記事では書かなかった別な実験も見学させてもらった。

 それは「室外機のファンに大型台風並みの強風を当てて、ファンが破壊されるのを見届ける」という試験だ。屋外にある室外機は強烈な突風にさらされることがある。そこで、大型台風に相当する風圧をファンにかけて強制的に回転させ、死に様を見届ける。そのための実験装置も日立APは最悪状態確認試験室に導入している。

 この死に様試験の直前に、「ファンが割れると、とんでもなく大きな音がするよ」と巻島センタ長に脅かされ、筆者は耳栓を渡された。風圧をかけられるにつれて、ファンの強制回転が徐々に速くなり始めた。ファンの羽根が見るからにしなり出す。

 とうとう最後に「ガシャーン」とファンが割れて、はじけ飛んだ。ファンがくだけた瞬間、耳栓越しにもすごい音が聞こえた。割れたファンの残骸は粉々に散らばっていた。びっくりした筆者はその場で耳栓を返却するのをすっかり忘れてしまい、後日返すはめになったほどだ。擬似的な事故体験は記憶に強く刻まれる、このことを筆者自身も身をもって知ることができた。設計者が同じ恐怖体験をすれば、事故への意識は高まるだろう。

 このような死に様試験を見学する日立APの設計者は発火などの事故対策を怠らない。実際、日立APのエアコンは、熱を発する基板部分を鉄板で囲い、万が一、基板から火が出ても周囲に燃え広がらないようにしてある。おかげで重大な製品事故は起こしていないし、消防や警察からの要請で火災現場の現場検証に協力した際には“潔白”を証明しやすいという。鉄板にくるまれたエアコンの基板は、焼損せずにそっくりそのまま残っていることが多いからだ。火災の原因が製品内部には無いことを証明できるのである。

ヒヤリハットの察知力向上にも役立てる

 巻島センタ長が期待する死に様試験の効果は、これだけにとどまらない。「ヒヤリハットに敏感な組織作り」にも役立つと考えている。

 ヒヤリハットとは、「ハインリッヒの法則」を簡単に表現したもの。「1件の重大事故の背景には、29件の軽傷事故(ハッとする事故)と300件の小さなトラブル(ヒヤリとする出来事)がある」といわれている(関連記事1関連記事2)。

 巻島センタ長は実際に、過去に洗濯乾燥機の不具合報告で、「1:29:300」というハインリッヒの法則に極めて近い数字に遭遇したと明かす。それは洗濯乾燥機を使って衣服を洗濯・乾燥した時に起きる「洗濯しわ」のトラブルだった。

 ある日、日立APに同社の洗濯乾燥機の利用者から「拝啓 社長様」という書き出しで始まる苦情の手紙が届いた。そこには洗濯しわに悩む悲痛な声がつづられていた。

 家電メーカーの社長あてに苦情の手紙をしたためる消費者はそう多くはない。「余程のことなのだろう。この手紙は重大な事故の予兆かもしれない」と巻島センタ長は考えた。すぐに、同様の問い合わせや苦情がコールセンターにも寄せられていないかどうかを調べると、洗濯しわに関する似たような相談や苦情が、既に二十数件も集まっていることに気づいた。

 この時、巻島センタ長はハインリッヒの法則を思い出したという。「拝啓社長様のお手紙が1通届き、コールセンターに29件近いお電話をいただいている。ハインリッヒの法則に従って考えれば、当社に連絡こそしていないが、洗濯しわで困っている『無言の顧客』が300人もいることになる」

 無言の顧客は別名「サイレントクレーマー」ともいい、メーカーに直接不平や不満を伝えるなどの行動を起こさないまま、二度とその会社の商品を買わなくなる人を指す。洗濯しわの問題がメーカー離れを引き起こす大きな要因になり得ると考えた巻島センタ長は、すぐに改善の手を打ち始めた。

 このようにハインリッヒの法則を実際に体験できる機会はめったに無いかもしれない。だからこそ、巻島センタ長は社員を最悪状態確認試験室に招き、死に様試験で事故の怖さを肌身に感じてもらう。そうすることで、リスクやヒヤリハットに敏感な社員を育てている。