ジェリー・パーネル氏のコラム「混沌の館にて」がePub形式の電子書籍となって復活――。このニュースを知った時、筆者はえも言われぬ懐かしさを感じた。だが、よくよく考えると、媒体は違えど何らかの形で続いてきた現役コラムであり、“懐かしさ”は筆者が過去の雑誌連載を思い出してしまうからだ。おそらくiPadなどで初めてこのコラムを読む人は懐かしさなど感じずに、現役のコラムとして普通に読み始めるだろう。

 実際筆者はこのニュースを知った後、iPadで読めるePub形式のお試し版を入手。その後購読を申し込んだ。“懐かしさ”を“現役”に引き戻した瞬間である。実は似たようなことをケータイアプリ、特にNTTドコモの携帯電話向けアプリである「iアプリ」の取材で感じた。iアプリが登場して10年。取材先からは「懐かしいですね」「どうして今iアプリなんですか」といったコメントを得ることも多いが、どうも風向きが変わる雰囲気がある。11月末に開設される予定の「ドコモマーケット(iモード)」が、iアプリの“懐かしさ”を“現役”に引き戻す役割を担いそうなのだ。

 本題に入る前に、「混沌の館にて」について触れておく。ご存知の方も多いと思うが、「混沌の館にて」はSF作家であるジェリー・パーネル氏がIT関連の話題をつづったコラムである。休刊した日経バイト誌に連載されていた。筆者は日経バイト編集部に在籍したことはないが、「混沌の館にて」は記者として気になる連載だった。

 日経バイトの休刊後、しばらく間を空けて、日経BP社のWebサイトである「PC Online」で「続・混沌の館にて」として復活。だがそれも2010年6月29日に最終回を迎えた。その後、同コラムの翻訳者である林田陽子氏が諸権利を取得し、現在は同氏のサイトで「新・混沌の館にて」として再復活を果たしている。なお6月分のコラムは無料で試し読みできる。

「母国語はiアプリ」

 話を戻そう。モバイルアプリの開発者といえば、現在はiPhoneやAndroid搭載端末をターゲットにすることが多い。ただし、そうした開発者の中には、「iアプリがモバイルアプリ開発の原点」という方が結構いる。例えば、iPhone向けのアウトラインプロセッサ「ZeptoLiner」や書道アプリ「i書道」など人気のiPhoneアプリを開発したユビキタスエンターテインメントの代表取締役社長兼CEOである清水亮氏は、「プログラムを書く立場からするとドコモ(iアプリ)が母国語」と言ってはばからない。

 iアプリの登場は、NTTドコモの「503i」シリーズが登場した2001年1月。当時携帯電話上でアプリが動くこと自体画期的なことであり、しかも開発環境は誰もが無償で入手できた。当時、多くの先進的な開発者がそれに飛びつき、企業だけでなく、個人がサンデープログラマーといった形でiアプリ市場に参入してきたのだ。

「10Kバイトの壁」も今は昔

 過去を振り返ると、初期のiアプリは開発者にとって技術的にも挑戦しがいのあるプラットフォームだった。登場時のiアプリは「DoJa-1.0」と呼ぶプロファイル(仕様)を採用していたが、そのアプリの基本サイズは圧縮形式(JAR)で10Kバイト。携帯電話内のデータ領域(スクラッチパッド)も10Kバイトという今では考えられないような制約があった。

 データの伝送速度が回線交換で9600ビット/秒の時代であり、このサイズの制約は致し方なかったと言えるが、当時の開発者は「この“10Kバイトの壁”を越えるために様々な工夫をしました」(コネクトテクノロジーズ 取締役兼執行役員の伊藤広明氏)という。開発者がこうした挑戦をし続けてきた結果、モバイルアプリの市場が花開いたといっても過言ではない。

 携帯電話の進化が続くなかで、モバイルアプリの流れを決定的に変えたのは米アップルのiPhoneおよびそのアプリマーケットであるApp Store、そしてそれに続く米グーグルのAndroidである。個人に対して開かれたアプリ流通のマーケットを用意し、課金もできる。インターネットとの親和性が高く、市場は世界規模。新奇性を求める開発者やアプリの開発で小遣い稼ぎをしたい個人開発者などが、こぞってスマートフォン向けアプリ開発へと参入し、いつしかiアプリはモバイルアプリの黎明期から成長期の立役者として“懐かしむ”存在へとなっていった。