トヨタ自動車のリコール問題から日本の製造業が教訓にすべきことは多いが、その一つは、「安全」や「品質」はメーカーではなく、顧客が決めるものだという方向に舵を切るきっかけになったことではないかと思われる。

 象徴的だったのは、「プリウス」のABS(アンチロック・ブレーキ・システム)制御の問題で、保安基準を満たしていたにもかかわらずリコールに踏み切ったことだ。豊田章男社長は2月9日に開いた記者会見で、「お客様から『不安だ』というご意見をいただいていることを真摯に受け止め、お客様に安心して乗っていただくことを最優先とした」とその理由を語った。

 それに先立つ2月4日と5日に同社が開いた記者会見では、保安基準には抵触しておらず、「運転手が違和感を感じているという問題」であるとし、「強くブレーキを踏み込んでもらえればブレーキは利く」と弁明したが、これが裏目に出てしまった。前原誠司国土交通相が2月5日の閣議後の記者会見で、トヨタの対応について「顧客の視点がいささか欠如している」と批判(関連記事)し、同社の対応を問題視する「世論」が形成されていった。

 このプリウスのブレーキが、果たして技術面でどの程度の問題を抱えており、リコールすべきほどのものなのかについては、意見が分かれている。『日経ものづくり』が実施したアンケートでは、「設計に問題があった」と思っている人が53.1%であったが,「問題がなかった/わずかだった」と思っている人も45.4%に達した。また、このケースのように定量的な性能で明確な違反がなかったにもかかわらずリコールを行ったことについては,判断が「正しかった」と答えた人は66.8%もあったが、一方で「正しくなかった」と答えた人も26.1%にのぼった(Tech-On!関連記事)。

 これは、メーカーが考える「安全」「品質」と顧客が考える「安全」「品質」の間にズレが生じている、ということであろう。そのズレを埋めるためのヒントになりそうなのが、「安全」と「安心」は違うとという指摘である。日経BP社がこのほど出版する『不具合連鎖』で、「安全学」を提唱している明治大学理工学部情報科学科教授の向殿政男氏がこう書いている。

「『安全』と『安心』は違うということを指摘しておく。企業がいくら技術的に製品の安全性を高めても、ユーザーが安心するわけではない。そこには、その製品を造っている企業、人間に対する信頼が必要となる。つまり、技術的な裏づけのある安全と企業に対する信頼の二つがあって初めて、ユーザーの安心を勝ち得るのである。トヨタ、さらには自動車業界は今、自動車の安全レベルを高める絶好の機会を得ている。このチャンスを逃してはならない。」(p.135)

 「安全」は技術的なスペックとして追求できるが、「安心」は感覚的なものでとらえどころがない。今後は、このとらえどころがないものを消費者目線で把握して、技術面でもより追求していかなければならない、ということを今回のリコール問題は突きつけているようだ。東京大学ものづくり経営研究センター教授の藤本隆宏氏が同書の中でこう書いている。

「(前略)そうした個人差のある違和感や不具合を、『気のせいだ』『機能に問題はない』『想定外の操作だ』『不具合の判断は専門家に任せなさい』と言ってメーカーがやり過ごすことは、人工物複雑化の時代、もはや許されない。安全品質のハードルが上がったのである」(p.97-98)