「挑戦するIT現場」というタイトルの特集記事を日経SYSTEMS 2010年5月号で担当することになったとき、ぜひインタビューしたい人の名前が頭に浮かんだ。22歳のときに北米大陸の最高峰「マッキンリー」への単独登頂に成功して以来、これまでに世界6大陸の最高峰を無酸素で登頂した栗城史多(くりき のぶかず)さんである。

 栗城さんのことは、ご存知の方が多いことと思う。登頂風景を自ら撮影し、インターネットで動画をライブ中継していることから注目を集めている。「7サミット 極限への挑戦」(NHK総合で2010年1月4日19時30分から放映)などテレビ番組でも取り上げられた。

「生きることの喜びや素晴らしさ」を伝えたい

 取材当日、黒い帽子に黒いサングラス、そして黒いコートに黒のニットといういでたちで現れた栗城さん。小柄な好青年という形容詞がぴったりだ。命がけの挑戦をしているにもかかわらず、いかめしさはみじんもない。

 早速、ライブ中継へのこだわりについて尋ねてみた。すると「自分が苦しんでいる姿を見てもらうことが面白い」との答えが返ってきた。追い込まれた危険な状況で、もがき苦しんでいる絵から、伝わるものがあるはずだというのである。

 いったい、何を伝えたいのか。それは「生きることの喜びや素晴らしさ」だという。栗城さんは登山を始めたことによって、ささいなミスが死につながることを体感し、逆に普段生きていることに大きな喜びを感じるようになった。ライブ中継を通じて、前向きに一生懸命生きることの素晴らしさを伝えたいと思っているのだ。

 「挑戦を通じて、大きく成長できた」。栗城さんはこう話す。山登りを始めるまでは、「不可能」や「できない」といった壁を自ら作り上げていたそうだ。しかし、山で生きていくためには、最善を尽くすしかない。毎回、もうダメだと思ってもどうにか登頂してきた。

 こうしたことを繰り返すうちに、栗城さんは気付いた。不可能やできないという限界を決めていたのは、実は自分だったというのである。

ITエンジニアも挑戦で飛躍できる

 栗城さんがやっているような命がけのチャレンジでなくても、強い達成意欲を持って、結果がどうなるか分からないことに精一杯取り組むと、人は大幅な成長を遂げるものだ。「挑戦するIT現場」特集の取材活動で、このことを確信した。

 ITエンジニアが挑戦を通じて得られた成長としては、「心が強くなる」「問題解決能力が高まる」「目標達成意欲が強まる」の三つが多かった。

 挑戦によって「心が強くなる」のは、挑戦の最中に試練を受け、懸命になって解決方法を探り出すという経験によって心が徹底的に鍛えられるからにほかならない。例えば、ソニーデジタルネットワークアプリケーションズのITエンジニアは、日々問題が起こり、猛烈なプレッシャーがかかる中を走り続けた結果、問題が生じても動じず,冷静に対処策を考える「心の強さ」を持つに至った。

 そのITエンジニアは2009年11月半ば、会社に新事業のアイデアを提案した。「低調な経済活動が長引き、徐々に仕事が減っている。今後はソニー外にも仕事を求めていく。その事業アイデアを募集する」という社長からのメッセージに呼応したものだ。

 提案の骨子は、社内で利用しているWindowsベースの人材リソースアサイン管理システムを短期間のうちに大幅改良し、SaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)として速やかに提供開始するというもの。RIA(リッチ・インターネット・アプリケーション)技術を採用して使い勝手を高めるとともに、パブリッククラウドに載せて初期コストの低減や拡張性の確保を図る。

 提案は採択され、システム構築に取り掛かった。その過程で、大小さまざまな問題が発生した。例えば、同社には外販するための営業や販売の担当者がいなかった。また、自社ブランドで製品やサービスを提供することに対するリスクへの備えも十分ではなかった。ITエンジニアは、これらの問題に対応していく必要があった。

 さらに、コストを抑えるためのオフショア開発に高い壁があった。RIA技術を駆使し、高度なユーザーエクスペリエンスや操作感といった非機能要件を実現するとなると、品質確保が一筋縄ではいかない。機能要件とは異なり、「楽しい」「サクサク動く」といった非機能要件をオフショア先に伝え、正確に理解してもらうのは難しい。それでも開発や運用コストを削減するため、困難を承知の上であえてRIA部分を含めてオフショア開発に挑んだ。

 この挑戦を通して、ITエンジニアの心に変化が生じた。最初はごく小さな変化だったが、それがさまざまな変化を連鎖的に呼び起こし、やがて大きなうねりになっていったという。

 まず一歩先に関する意識が変わった。意識が変わることで視点が変わり、視点が変わることで行動が変わり、行動が変わることで習慣が変わるという数珠つなぎの変化を通して、問題が起こっても冷静に対処できる心の強さを得たのである。

 挑戦には不安が付きものである。それでも勇気を胸に抱いて、一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。