まもなく、政府の高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)が、新しいIT基本戦略を決定する。3月下旬に公表した骨子(案)に掲げた計45項目の「具体的な取り組み例」に対し、4月中に優先度を決定する見通しである。基本戦略として採用された施策項目については、5月中に取り組みのスケジュールと担当府省を決め、そこから2011年度予算の要求案作りに向けて各府省が一斉に走り出す。

 新しいIT戦略の目玉の一つが、社会保障・税共通の番号制度、いわゆる「国民ID」の導入である。与党民主党がマニフェスト(政権公約)に掲げ、平成22年度(2010年度)税制改正大綱にも明記されたことから、IT基本戦略として採用されるのは間違いない。

 政府は既に内閣官房国家戦略室を事務局として、「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」(会長:菅直人副総理兼財務相)を立ち上げ、2月から会合を開いてきた。2010年中に政府内で合意を取り付け、2011年の通常国会に法案を提出、成立させて、システムやデータベースの開発に着手。2013年中に国民にIDを配布し、2014年から運用を始めるスケジュールを想定している。IT戦略本部の事務局も同じ内閣官房にあり、国民IDの導入に向け検討会と連携していく格好になる。

 この国民IDは、IT関連市場にどのようなインパクトを与えるだろうか。導入も決まっていない段階だが、現時点で得られる情報から考えてみよう。

 まず、最も気になる市場の規模感は、残念ながら現状でははっきりしない。国民IDが、住民票コードそのものになるか、基礎年金番号のような別の既存番号になるのか、あるいは新規に番号を割り当てるのかが確定していないことが大きい。また、国民IDを既存の番号にひも付けるデータベースを、行政機関(自治体、年金事務所、税務署など)ごとに設置するのか、あるいは集中型データベースを構築するかによっても、IT関連の費用構造は大きく変わる。

 政府は国民IDの導入に当たって、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を活用して、コストを抑えることを基本方針にしている。2002年に稼働した住基ネットは、初期費用が390億円、年間の運営費用が130億~180億円である。総務省は行政側と住民側の事務効率化で年間2300万時間(時給換算で360億円)、郵送切手代の削減で同70億円の削減効果があったとしているが、支出額としてはかなり大きい。国民IDの導入・運用費用が住基ネット並みの規模になるかどうかは、5月の番号制度検討会で、利用番号別のコスト比較が報告される際に大枠が明らかになる見通しである。

民間企業にも対応ニーズが発生しそう

 国民ID制度を導入済みの諸外国では、ICカードを発行している国が多い。IT戦略本部の骨子(案)でも「公的ICカードの整備・高度化」が項目として挙がっている。国民ID用にカードを発行すれば、それだけでも非常に大きな市場規模になる。番号制度検討会の第4回会合で田中直毅 国際公共政策研究センター理事長が提出した資料では、ICカード関係設備投資費用として、カード配布が1200億~2400億円(1枚1000~2000円で全国民)、カードリーダーが1400億円(1台3500円でほぼ全世帯)、公的カード発行センター(都道府県単位)が15億円としている。

 加えて、国民ID構想には、住民が自身の登録情報を確認したり、行政による使用履歴を監視したりできる「Myポータル」のような機能も含まれる。田中氏の資料では、ポータル初期設備投資費用を320億~400億円と見積もっている。

 このほか国民IDには、「電子行政の基盤として官民サービスで汎用的に使えるようにする」という特徴がある。既存の番号が行政機関での利用に閉じているのと対照的である。このため民間企業側にも、国民IDを利用するためのシステム改修やシステム構築のニーズが発生するかもしれない。

 例えば税務面では、民間企業側でも国民IDへの対応が必須になりそうだ。国が個人所得を正確に把握するために、個人は勤務先や取引金融機関に国民IDを通知しなければならなくなる。給与支払い者である企業や、利子・配当などの所得の口座を管理する銀行や証券会社は、国民IDとセットで各個人の所得を税務当局に報告することになる。このため大手の企業や金融機関では、国民IDに伴う事務作業を効率化するために、既存システムの改修が必要になるだろう。

 もちろん、財政事情が厳しい中で政府が相応の投資をするからには、それに見合った経済効果を引き出せなければ、国民の支持は得られない。政府支出に対する監視の眼が厳しさを増す中、国民IDを含む新IT戦略は、“ITが経済成長を担えるかどうか”という本質的な問いを投げかけられているとも言える。