自分の所属する会社が「国際会計基準」を扱った書籍を12年前の1998年に発行していた---このことを知ったのは、割と最近である。タイトルはずばり「国際会計基準」。著者は「ミスター国際会計基準」と呼ばれていた白鳥栄一氏である。

 アーサーアンダーセン日本事務所長などを務めた白鳥氏の何より大きな貢献は、国際会計基準委員会(IASC)の議長を務め、国際会計基準にかかわる活動を主導したことだ。IASCは国際会計基準審議会(IASB)の前身に当たる。本書発行直前の1998年に急逝され、本書は遺作となった。国際会計基準にかかわる貢献により、2009年7月6日には日本公認会計士協会が設立した「公認会計士の日」大賞の特別名誉賞を受賞している。

 本書が出てから12年の間に、国際会計基準も日本の会計基準も大きく変わった。本書が書かれた1998年には、国際会計基準はまだ完成していなかった。必ず基準として入れるべき40の項目を「コア・スタンダード」として、順次承認を進めている段階だった。日本の会計基準は商法、証券取引法、法人税法が中心だった。現在では、商法の会社にかかわる部分は新会社法となり、証券取引法は金融証券取引法となった。

 しかも、本書の内容は会計の専門家でないと理解しにくい部分が少なくない。筆者がこの本に触れる資格はほとんどないに等しい。それでもあえて、「自社の本の宣伝をしたいだけではないか」と非難されるのも承知の上で、本書をいま読むことに意味があると言っておきたい。

 2002年に日経BP社が出した書籍「国際会計基準戦争」に白鳥氏にかかわる記述が出てくる。こんな具合だ。「…日本の会計業界で『国際派』の旗頭として活躍してきた。日本の会計基準が国際水準から遅れていることを歯に衣着せぬ物言いで批判し続け、日本企業を守ることに固執してきた『国内派』会計士や、経団連などの産業界、大蔵省とまさに『闘い続けて』きた」。

 本書「国際会計基準」は表現は平易で、語り口は一見静かだが、まさに闘士が書いた本だ。何しろ、副題が「なぜ、日本の企業会計はダメなのか」である。非常に冷静に、かつ丁寧に、日本の企業会計の問題点を鮮やかに指摘している。単なる国際会計基準の紹介本とは全く異なることが分かる。

 白鳥氏が抱いていた国際会計基準に対する思い、さらに日本基準に対する思いに触れておくことは、これから国際会計基準により深く対応していくために参考になるだろう。筆者のような門外漢にとっては、国際会計基準のことを語るにはまず、自分の国の会計のあり方をきちんと理解していなければならない、という専門家にとっては当たり前であろうことを改めて気付かせてくれた点も大きい。

三つの法が絡み合い、目的も不明確

 本書「国際会計基準」のほんのサワリだけを紹介したい。国際会計基準とは何か。本書の初っ端にその説明が出てくる。「国際会計基準は…投資家(株主)に対して企業の正しい姿を伝えること、そして、世界の企業を同一の基準で比較できることを目標に、必要なすべての項目に関する会計基準を定めようとしている」。カギになるのは「企業の正しい姿を伝える」ことを目標としているということだ。

 翻って、日本基準は企業の正しい姿を必ずしも伝えてはいないとなる。その背景としてまず、日本基準は商法、証券取引法、法人税法が商法を中心に複雑に結び付いている点を挙げ、「三つの法律のもたれ合いの体制が、世界に類を見ない、日本独特の会計制度を形成してきた」とする。商法が基本法であり、証券取引法の「損益」や法人税法の「課税利益」も商法の規定をベースにしているが、一方で「商法の規定そのものが、証券取引法や法人税法に強く影響されている」。

 しかも、1890年(明治23年)に制定された商法はドイツ法の影響を色濃く受けている一方、1948年(昭和23年)に制定された証券取引法は米国の仕組みに習っている。こうした異なる源流を持つ二つの法律が並立しているところに法人税法が加わっている。「国際会計基準について考える際には、こうした混沌とした状況が存在することをまず念頭に置く必要がある」と白鳥氏は主張する。

 さらに白鳥氏は、日本には会計目的論、つまり「会計が果たすべき目的は何か」に関する統一した見解がないと批判する。日本で優勢なのは、「配当可能利益計算説」である。これは「債権者を保護するために、株主への配当額をどう計算すべきか」というもので、単純に言ってしまえば会計は「債権者を保護するためにある」とする見方だ。

 これに対し、国際会計基準の目的は明確である。「利害関係者が経済的な意思決定を行う際に必要な情報を提供すること」としている。

 このあたりはまだ序の口である。この先、白鳥氏の筆鋒はますます鋭くなる。経常利益を偏重する「当期業績主義会計」を批判し、法人税法を「企業会計をゆがめている元凶の一つ」とする。さらに批判の矛先を日本企業にも向ける。「日本企業の決算書の多くは不十分といわざるを得ない。それが日本企業の甘えにつながり、不振の遠因ともなっている」とする。そのほかの内容は、興味があれば実際に本を読んでほしい。

 本書が口火を切ったかのように、日本の会計基準は大きく変貌していく。発行直後の1998年には「連結キャッシュ・フロー計算書等の作成基準」「中間連結財務諸表等の作成基準」「税効果会計に係る会計基準」など、本書が扱っている内容の具現化につながる基準が新たに制定された。現在では、国際会計基準に日本基準を近づけるコンバージェンス(収斂)が進む一方で、アドプション(強制適用)の議論が進んでいるのは周知の通りである。一連の改革は「企業の正しい姿を伝える」ことを狙ったものだ。

 白鳥氏がもし存命だったとしたら、現在の日本におけるIFRSを巡る状況をどう見ていたのかが非常に気になる。「ようやくここまで来たか」と感慨深げに見ていたかもしれないし、「皆さんはまだまだ分かっていない」と苦言を呈していたかもしれない。

 1998年は長野冬季オリンピックが開催された年でもある。その後、スポーツの世界でも“国際基準”にどう対応していくかが大きな課題となっている。日本企業は国際会計基準の採用で、世界に立ち向かうだけでなく、メダルを取れる存在になるだろうか。本書はいろいろと考えるきっかけを与えてくれる。