少し前のことになるが、2010年1月22日に富士通の社長人事が発表された。山本正己執行役員常務(同日付で執行役員副社長に就任)が4月1日付で執行役員社長に昇格するというものだ。筆者はこの人選にかなり驚いた。

 2009年9月に野副州旦前社長が突然、病気療養を理由に辞任。間塚道義会長が暫定的に社長を兼務するとともに、次期社長の指名委員会を設置した。メンバーは間塚氏と大浦溥氏(アドバンテスト相談役)、野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)の3人である。委員長の大浦氏を中心に富士通の副社長と常務の全員、執行役員の一部と面談し、次期社長の条件を決定。そのうえで白羽の矢を立てたのが、山本正己執行役員常務(当時)だった。

 筆者が驚いたのは、山本氏がパソコン分野の出身だったことだ。富士通にパソコン部隊ができたのは、山本卓眞氏が社長だった1981年のことだが、以来30年近く、パソコン分野出身の社長は一人も出なかったからだ。

 富士通社内にも当然、今回の社長人事への驚きはある。以前には山本氏は副社長に就任するという説もあった。実際には、山本氏と同期入社で「苦労人」という評判の生貝健二執行役員らが副社長に抜擢されている。ある富士通関係者は、山本氏を次期社長に推す理由を「実行力と行動力への期待」とした。野副前社長時代の副社長を入れ替えたのも、山本氏が行動しやすい環境にするためだと言う。

 1月22日の会見で山本氏は「富士通の課題はグローバル展開にある」と語り、野副氏が訴え続けた「日本発の真のグローバルカンパニーを目指す」という目標を継承する考えを明らかにした。また野副氏が推し進めた事業の整理について、「かなり進み、強い筋肉体質になった」との認識であった。

残るはパソコンと携帯電話事業

 だが果たして構造改革は進み、再生の見通しは立ったと言えるのだろうか。国内だけみても、富士通ビジネスシステムや富士通エフサス、全国各地のSE会社といった子会社群との関係や役割分担をどうするかといった問題が山積している。グローバル展開となればなおさらだろう。

 野副氏は、2011年度に「営業利益2500億円、当期純利益1300億円」という過去最高益を確保し、盤石な経営基盤を作り上げる目論見だった。そのためにグローバル展開を図り、収益性の低いHDDやパソコン、携帯電話端末、半導体については「立て直せないなら整理の対象に」と考えていたようだ。

 だが実際に売却したのはHDD事業だけだった。半導体については「誰も買ってくれないだろう」と自力での再生案を練り、台湾のメーカーへの製造委託という策を講じた。残るは、パソコンと携帯電話端末である。

 山本氏を選んだ意味はそこにあるのではないか。間塚会長は「ヒューマンセントリックなシステムやネットワークへとIT活用のパラダイムはシフトしている」と発言、パソコンや携帯電話端末といったユビキタス機器や関連技術が重要になるという認識を示した。山本氏も「人とコンピュータとの接点が重要になる」と述べている。米グーグルの成長を例に挙げるまでもなく、コンシューマ技術をエンタープライズに応用するアプローチが不可欠な状況だ。