1994年に似ている

 1994年、筆者は自宅や研究室で、Macintoshや、PC-9801を利用していた。それぞれ機能差や向き不向きはあれど、多くの人が使う「コンピュータ」はMacに似たものになるだろうな、と感じていた。それを思い出した瞬間、2010年の現在、iPhoneやAndroid端末などのスマートフォンを取り巻く状況と、1994年当時の状況がどんどん一致し始めた。

 1994年のMacintoshに相当するのが2010年のiPhone。1994年にMicrosoftが推進していたWindowsは、2010年にGoogleが推進するAndroidである。1994年当時“日本独自の進化を遂げた”パーソナルコンピュータ、つまりPC-9801やFM-Rが、ガラケーのNECや富士通が開発するモデルに相当するのではなかろうか。

 追撃する立場にあるAndroidのほうが、開発環境の難易度が低いのも似ている。1994年当時、Mac上での開発は、情報が少ない、開発ツールが高価であるなどいくつかの理由でかなり敷居が高かった。それに比べてWindowsは、コンパイラの入手しやすさ、よく整備されたAPIなど、開発者が参入しやすかった。iPhone SDKとAndroid SDKの関係も、「参入のしやすさ」という点では同じ構造といえそうだ。

 どちらも切り開いたのがSteve Jobs率いるAppleで、追撃するのがコンピュータのキー・ファクターを握る米国の大企業、当時はMicrosoftで今はGoogleだというのも興味深い。

歴史は繰りかえ…さない?

 筆者の勝手な思いこみのもと、歴史がそのまま繰り返すとすれば、Androidの将来は明るい。ガラケーを利用する多くの日本人や、ごくシンプルな携帯電話を利用する世界中のユーザーがAndroid市場に流入する。競争によって磨かれた魅力的なアプリとサービスはAndroidの上で動き、Android端末を扱うスキルが、開発者としてもユーザーとしても重要になる。

 実際はそう単純な話ではないだろう。冒頭で「何を今さら」と筆者に伝えてくれた記者は「JobsだってAppleだって、2度同じ負け方をしようとは思わないはず」と言う。確かに、Appleはもちろん、先行するAppleに挑むGoogleもMicrosoftも、端末メーカー各社も同じ気持ちのはずだ。2度目だとすれば、戦い方も変わってくる。

 ハードウエアもソフトウエアも、さらには販売の仕組みまで、1994年のパソコンと2010年の携帯電話ではまるで違う。加えて、携帯電話ゆえ、キャリアの意向という制約条件が伴う。予測は難しい。ウイルスやワーム、セキュリティなど、たくさんの問題も発生するだろう。