「ビジョンや戦略っていうのは、トップが言葉で何度唱えても、なかなか組織には浸透しないんですよ。ところがそれが『数字』になると、バシッと動き出すんですねえ」。リクルートのOBで、カネボウ化粧品の再生を手がけ、現在はコンプライアンスや内部統制のコンサルタントとして活躍している秋山進氏から以前こんな話を聞いた。

 秋山氏がリクルート在籍中に、ある事業の営業部門で「新規顧客の開拓ではなく、以前取引があった顧客と取引を再開する」という方針を打ち出したことがあった。ところがそうした方針を打ち出しても、営業担当者の多くは相変わらず新規顧客の開拓に勤しみ、なかなか「昔のお客さんの掘り起こし」には足を運ばなかった。

 その理由を考えていた秋山氏は、営業部門にフィードバックする実績リポートに目を付けた。するとそこには、売り上げや利益などおなじみの数字のほかに、「新規顧客の開拓数」や「そこから得られた売り上げ」の数字が記載されていた。そこでリポートのフォーマットを見直して、新規顧客の代わりに、取引を再開した顧客の数や売り上げを載せるようにしたところ、営業担当者は目の色を変えて、以前の取引先を回って取引再開を働きかけるようになったのだという。

「あれもこれも」、指標の乱立で戦略がちぐはぐに

 もう数年前に聞いた話だが、2つの点で強く印象に残っている。1つは秋山氏が言うとおり、数字、言い換えれば指標には、組織を動かす力があるということだ。求める成果を指標として明示することは、組織のメンバーに「自分たちが何をすべきか」を伝える強いメッセージとなる。

 もう1つは、指標を絞り込むことの意義だ。この例では、新規開拓の指標をリポートから取り去り、代わりに取引再開顧客の指標を盛り込むことで、営業担当者の行動を変革した。もし2つの指標を併記していたら、どちらを優先すべきかの迷いも生じていたのではないか。とはいえ、「新規開拓は重視しない」意思を明確に表明するに当たっては、マネジメントに覚悟が必要だったことは想像に難くない。

 マネジメントが「あれもこれも」と欲張り、保険をかけておこうとすると、数多くの指標を設定してしまう。その結果、現場の社員は何を優先すべきか分からず混乱したり、勝手に優先順位を判断し、組織として一貫性のない行動を取ったりし始める。

 ある自動車販売会社の営業支店には、成約台数で常にトップの成績を誇る社員がいた。仮にAさんと呼ぶ。Aさんには明確なポリシーがあった。「自分は顧客に喜ばれることを最も重視している。だから顧客に値引きを要求されれば常に応じる」というものだ。もちろん、会社として赤字にならない基準はクリアしてのことではあるのだが、Aさんがどんどん値引きをしてしまうので、支店の売上高利益率はいつも全社でも下位のランクだった。支店長はAさんの値引きを埋めるべく、ほかの営業担当者にはなるべく値引きをしないよう口を酸っぱくして言っていた。営業スキルもなく、値引きという手段も封じられた若手の営業担当者は、なかなか売り上げを上げることができず、悩んだり、退社したりしていた。

 こうした事態に陥った根本的な原因は、この会社が売り上げ台数と利益率という2つの指標を、同等に重視していたからだ。Aさんは売り上げ台数という指標で目標を達成するうえでは十分な成果を上げていたので、支店長もその行動を変えられない。そのしわ寄せが支店のほかのメンバーにかかっていたわけだが、問題はAさんではなく、指標に優先順位をつけなかった経営陣にあったと言うべきだろう。

KPIが組織の方向性を決める

 あなたの会社や仕事のチームで、最も大事にしている指標はなんだろうか。それは明示されているだろうか。もしくは暗黙知として、メンバー全員が共有しているだろうか。

 規模が大きく、様々な事業や業務のラインを抱えた今日の企業組織においては、「うちの会社が一番重視しているのはこの指標だ」とは簡単に言い切れないものだろう。規模の拡大も、利益の確保も、キャッシュフローも顧客満足も大事――。しかしそれらの要素に優先順位が無ければ、経営環境が悪いなか、限られたリソースを次の成長に向けて効果的に投資していくことはできないはずだ。

 『日経情報ストラテジー』2010年2月号の特集記事「この指標で会社を変える」では、こうした視点から、企業やチームにおけるKPI(重要業績評価指標)の設定について考えていく。さらにKPIを軸に現場の業務改善を促すPDCAサイクルを回す事例も紹介していく。ますます先行き不透明な2010年、「うちの会社(チーム)はここに向かっていく」という方向性を、KPIで示す必要は高まるはずだ。

■変更履歴
最後から三つ目の段落で「暗黙値」という表記がありましたが、正しくは「暗黙知」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2009/12/22 14:35]